今、あちこちでドクダミの花が咲いている。
J子さんの家にも、T子さんの家にも、昨日行った散歩の道中にも・・・
私は昔からドクダミの花が大好きなのだ。だけど、我家にはない。だから、この時期にはいつも道端に咲いているドクダミの花を1輪、2輪摘んできては楽しんでいた。
実は30代の頃、友人の家の庭に咲いていたドクダミを根っこから分けてもらい、物置の裏に植えたことがある。夫も好きだったので、もちろん承知の上で。
でもその当時、庭の管理をしていたのは夫の母。花が大好きだった母は暇さえあれば庭仕事をしていた。そして、雑草は目の敵ぐらいの勢いで扱いでいた。当然、小さな雑草ですら1本もないようなきれいな庭だった。
だから、私たちは母に「ドクダミを植えたい」などとは言えなかった。で、「ひょっとしたら扱がれちゃうかもね」と言いながら植えたのだ。するとやっぱり「こんなところにドクダミが生えている」と言い、すぐにきれいさっぱりと扱いでしまった。
やっぱり・・・
扱がれることを覚悟の上で植えたのだけれど、それでもちょっと残念だった。
だからそれ以来、ドクダミは道端で楽しむようにしているのだ。
それが今朝、ピンポーンと玄関チャイムが鳴ったので出ていくと、T子さんがドクダミの鉢を持って立っていた。
一昨日、T子さんのところに行った時、ドクダミを1輪いただく約束をしたけれど、忘れて帰ってきたのだ。それで、植木鉢に入れて持って来てくれたのだ。
蕾がたくさんついている所を選んできてくれたそうで、まだまだ何日も楽しめそう。
ドクダミは白い苞 が花弁のように見えるけど、花ではない。花は白い部分の上の穂状のところで、黄色い小花が密生している。
学問的にはそうでも、私はやっぱり白いところが花びらだと思いたい。
ドクダミの花を見るたびに思い出すこの俳句。私はこの句が大好きだ。
群生しているイメージではなく、ちょっと薄暗いところに1輪、2輪、可憐に咲いているドクダミのイメージ。この句を読むと、いつもそんな光景が脳裏にぱっと浮かび上がってくるのだ。
清楚で気品があって、それでもってかわいいこの花。ステキだと思いませんか。