えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

父さんっ子

今週のお題「私のお父さん」

今日は父の日ですね。

えむこがこのブログを書き始めて9か月になりますが、その間に父のことを3回程書きました。

去年の父の誕生日(11月21日)、日野原重明先生の「ありがとうと言ってこの世を去りたい」と言う言葉を聞いた時(12月1日)、そして今年1月の命日(1月14日)に・・・

それでも今日は父の日だから、やっぱり父のことを思い出してしまいます。

えむこが小学生の頃の父はそれなりに怖い時もありました。えむこは3丁目の夕日の時代だから、家内工業を営んでいた父には物差しを持って追っかけられたこともあるのですよ。だからと言って、嫌いだと思ったことはありません。その時だってきっとお転婆だったえむこが何か悪さをしたんでしょうね。

でも、えむこが中学生になってからは父に怒られたことはなかったように思います。父は温厚で、いつでもとっても優しかったのです。だから、えむこは父のことが大好きでした。

父はお酒が好きで、夕方仕事を終えるといつも晩酌をしていました。そのお酒も飲むと明るくなるか、すぐ寝てしまうようなお酒だったので、イヤだと思ったことはありません。何回か、戦地で辛かった話しを聞いたことがあるけれど、それ以外は愚痴や悪口、文句等などイヤなことは聞いたことがありません。

母はそれでも3合目になると「もうやめたら・・・」と言って、たくさん飲むことを嫌がっていましたね。きっと、妻と娘では思いは違うのでしょう。

そして、若い頃には煙草も吸っていました。えむこは煙草を吸う父だけは苦手で、近くで吸うと口でフ~と息を吹きかけては煙草のけむりを遠ざけていました。でも、それも風邪をひいたのをきっかけに止めてしまったので、嫌いな要素はなくなりました。

えむこが結婚した時は母が亡くなってからなので、父は叔母たちに聞いては結婚の準備を整え、孫たちのお祝いごとにも心をかけてくれました。

母が亡くなった時には56歳だったので、晩年は寂しかったと思います。でも、えむこという娘がいたことで少しは慰めになったのではないかと思うのです。これは娘の勝手な思い込みかもしれないけれど・・・

父はえむこの所に来ることが楽しみで、えむこが行くのを首を長くして待っていました。だから、えむこも父ができるだけ寂しい思いをしないようにと、いつも父のことを考えていました。家に来てもらうのはもちろんだけど、一緒にコーヒーを飲みに行ったり、ランチに行ったりして・・・

母が亡くなってからも、精一杯のことをしてくれたと思うと父には感謝しかありません。それに、きっとえむこは父さんっ子だったんでしょうね。きっとそうに違いありません。