お盆は先祖の霊が子孫のもとに帰って来る日だと言われています。
でも、私の嫁ぎ先はいわゆる門徒。お盆だからと言って、盆提灯も飾らないし、迎え火も送り火も焚くことはありません。そして、そういう考え方はないみたいです。
私には仏教のことは分からないけれど、孫がいるような年齢になった今でも、亡くなった両親がこの世に帰って来ると思えば、会いたいと思うものなのです。
だから、本当は何をおいても実家のお墓参りや兄の家に置いてある仏壇にはお参りをしたいと思います。
でも、夫の先祖が眠るお墓にはお参りに行っても、実家のお墓にはなかなか行けません。
夫の先祖が眠るお墓には、夫の姉や弟が絶対にお参りに行くと思います。だから、その前にはお花を供え、お墓をきれいにしておくのが私の役目でもあると思います。だって、親に会いたいと思う気持ちはみんな同じだと思いますから。
それで、実家のお墓参りはいつも後回しになるのです。
今年のお盆も、お墓参りも仏壇のお参りもすることができませんでした。
それで今日、やっと実家のお墓参りに行くことができました。
実家のお墓は兄の家に行くよりずっと近くです。
仏壇は兄の家に祭ってくれてあるけれど、そこは私にとっては実家ではなく、紛れもなく兄の家なのです。
両親が過ごした家は今は取り壊してしまったので、私にとっての実家はもうないのです。
私が「実家がない」と言ったからといって、兄夫婦と仲が悪いわけではないのです。兄が結婚したのは母が亡くなってからのことですし、父が元気でいた頃に兄は家を新築したのですから。だから、それは仕方がないことだと思っているのです。
「千の風になって」という歌があるけれど、その歌では「お墓の前で泣かないでください そこに私はいません・・・」と歌っています。
だけど、私にとってはお墓は両親のいるところなのです。もちろん、常に私の心の中にいるとは思っているのです。だから、両親の墓参りをすると何だか心が落着いてくるのですよね。
お花を供え、お線香をあげ・・・
夫の状況を話し、でも「頑張っているからね・・・」とか「会いたいけれど、彼を残しては逝けないから、まだ迎えには来ないでね・・・」とか「もう少しこっちにいさせてね・・・」とか「〇郎(二男)を護ってね・・・」とか、いろいろ話しかけて・・・
今日は両親のお墓参りができたので嬉しい一日でした。
他には何もできなかったけれど、1日1つでもできればそれでいいと思います。
生きていることが実感できる一日であれば・・・