えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

平和な一日

1959年の今日、伊勢湾台風が潮岬に上陸し、ここ東海地方に甚大な被害を及ぼした。その被害は計り知れず、死者4697名、行方不明者401名、負傷者は38921名に及び、名古屋では3分の1が水に浸かったそうだ。これは昭和の自然災害では最大だったと言われている。

その時、私は小学校4年生だった。まだ、お店屋さん以外はテレビがなかった時代。家はもちろん木製で、建具も雨戸も塀も全て木製だった。

その日、ラジオから流れてくる大型台風接近のニュースに、祖父母や両親はその準備を始めていた。停電対策に食料の確保。祖父と父は雨戸を閉め、その雨戸が飛ばないようにと、上から板を打ち付けていた。今はアルミのサッシにシャッターの時代だから、そんなことはしないだろうけれど、その当時は台風と言えば何処の家庭もそんな風に準備をしていた。

それでも、夜中に雨戸が外れ、祖父と父は合羽を着て、雨戸を打ち直していたと記憶している。

翌朝、起きると台風一過の上天気だったけれど、我家の木製の塀は全て倒れ、兄の鳩小屋は100㍍ぐらい先まで飛ばされていた。

塀を作り直すためには当時もかなりのお金がかかったと思う。だけど、我家の被害はそのぐらいで、浸水することも家自体が壊れてしまうことはなかった。前述したように、東海地方は甚大な被害に見舞われていたけれど。

しばらくすると、町内会を通して我家にも全国から寄せられた救援物資が届いたという。母はそれを受け取ったかどうかの記憶はないけれど、もっと被害が大きかった地域のことを考え、どうしたものかと悩んでいた。

後に兄の同級生だったK君が伊勢湾台風でご両親を亡くされ、この地に養子に来たことを知った。今はきれいな奥さんと、二人によく似た子どもさん3人に恵まれ幸せに暮らしているけれど・・・

 

昨日は台風20号の影響でお天気が悪かったけれど、今日は秋晴れのいいお天気。

夫は変わりなくデイケアに出かけ、私は車の2年目点検のため隣町のディーラーまで出かけた。

点検に1時間半ぐらいかかるというので、本でも持って行こうと考えていた。でも、T子さんが付き合ってくれるというのでお言葉に甘え、付き合ってもらうことにした。

ディーラーなら飲み物は出してくれるし、喫茶店と違い、点検が済むまでは気兼ねなく、落着いておしゃべりが楽しめるから。

 

出かけようと玄関に出ると、庭に白い彼岸花が咲いていた。

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これは、夫が何年も前に友人から球根を頂いて植えたもの。

花は何があっても毎年必ず咲いてくれるから癒される。

 

車の点検が終わった後は恒例のランチ。

今日は私の誕生日特典のハガキを持って、そのお店に行くことにした。

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7貫のお寿司に生ハム入りのサラダともう一品。そして、冷たいかぼちゃのスープか茶碗蒸しと、みそ汁にデザート。誕生日の人にはロウソクを立てたケーキまで付く。

今日はかぼちゃのスープにし、ケーキはリンゴのタルトだった。おいしかった~。

その他の誕生日特典は1割引きになることと、2か月間有効の1000円の金券が付くこと。だから、かなりお得だと思う。

夫が倒れる前はそれぞれの誕生日にお祝いのランチをしていたお店。おいしくてお値打ちなので、いつでもランチの時間は満席状態。だから、夫と行きたくても、今ではなかなか行けなくなってしまった。

 

今日の夕方ニュースで伊勢湾台風のことを思い出し、私がこんな平和な1日を過ごせたことをありがたいと思った。

 阪神淡路大震災東日本大震災、福島の原発被害、この間の台風18号と、その後も甚大な被害を受けたところがたくさんある。

こんな平和な1日を過ごしながら、

それらの記憶を消さないよう心にとめ、伊勢湾台風の時に救援物資を送ってくれたように、私も自分にできることを考えながらこの先を生きようと、改めて思った。