夫が脳出血で倒れたのは2010年の9月29日のこと。
その時の状況については去年書いたけれど、未だ鮮明に覚えている。
意識のない状況で救急搬送された夫は、緊急手術を受けた。
医師からは、手術をしても意識が回復するのに1か月ぐらいかかるかもしれないこと、右半身麻痺が残り、車いす生活になるかもしれないと宣告された。でも、命が危険だとは言われなかった。
だから、私は夫は回復すると信じていた。もちろん、その時点で障害が残ることは覚悟せざるを得なかったけれど。
看護師の宿命なのか、医師の話す内容、夫の状態、今後の生活までもが手に取るように理解でき、その日は自分でも驚くほど冷静だった気がする。
でも、それはその時だけ。家に帰ると、夫のことが頭から離れず、自責の念で涙がとめどなく流れ、今後のことを考えては不安に押しつぶされそうだった。
あれから3年の月日が流れた。
そして、この3年間は言葉では言い表せないような3年間だった。いろんなこともあったし、いろんなことも言われた。
退院して10か月ぐらい経った時、出先である人に「大変だね。助かったがよかったのか? どうなのかね?」と言われた。
私に「大変だね」と言いながら、夫が助からなかった方が、夫にも私にもよかったじゃないか、みたいに言ったのだ。
私はその言葉を聞いて、どう返事をしていいのか分からずにいると、今度は「頑張ってね」と言った。
きっと、私たちのことを「不幸だ」とか「かわいそうだ」と思ったのだと思う。
その時、「みんな、私のことをそんな風に思って見ているのか・・・」と思ったら、それまで自分の気持ちを立て直し、精一杯頑張っていた気持ちが傷つけられたようで、とっても悔しかった。
私は何かあっても、人にはなかなか話せない。自分で考えて考えて、心が落着いてからでないと。
夫が倒れた時もそうだった。
もう、心が落着いて、先のことを考えられるようになってから、たまたま昔の友人から電話が入った。「みんなで会おう」という電話だったので、初めて夫のことを話した。
その時「えむちゃんは強い人だね」と言われた。強い人・・・
その友人には母が亡くなった時にも、そう言われた。強い人だと。
友人に話すずっと前に、もう流す涙はないという程涙を流し、考えて考えて、自分の心が落着いていただけ。決して強いわけではないと思いながらも、あえて反論はしなかった。だけど、強い人としかうつらなかったみたい。まあ、そう思われていてもいいけれど・・・
今の夫の状態は、右上肢は全く動かない。右下肢は多少筋肉の収縮が入るようになったけれど、全くと言っていいぐらい動かない。だから、今も車いすで生活している。そして、言葉も話せない。それでも、退院当時と比べると、認知面ではかなり回復したと思っている。
車いすの生活だけど、散歩にも行ける。車の助手席に乗ってドライブにも行ける。今年は新幹線にも乗った。
話せなくても絵も描ける。新聞も本も読める。
贅沢さえしなければ、生活もできる。
だから、不自由にはなったけれど、不幸ではないと思っている。思うようにしているのかもしれないけれど。
あれから、もう3年。
いや、まだ3年。だから、まだまだ生活レベルを上げることだってできると思う。そう思いながら、毎日生活しているのだから。子どもがひとつひとつ覚えていくように、これからも手助けしながら、二人で生きていかなくては。