えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

回復の過程

トイレに入り、便座に座った途端「ひゃー!!」と声をあげてしまった。

我家のトイレはウォシュレットの暖房便座。その便座が冷たかったのだ。冷たいと知っていれば、構えて座る。だけど、温かいことを疑うことなく座ったのに冷たかったのだから、この時期は飛び上がるほどびっくりし、声が出てしまったのだ。

 

夫は脳出血で倒れて以来、右麻痺と高次脳機能障害のため、できないことの方が多くなってしまった。

入院中はナースコールも押すことができなかった。だから、排泄は失禁状態。病室にテレビがあってもリモコンは扱えず、テレビを観ることもなかった。

着替えの方法、洗面の仕方、道具類の扱い、とにかく全てのことが分からなくなっていた。

そして、退院当初もしばらくは、その状態が続いていた。

 

コールボタンを押すことはもちろん、テレビのリモコンも扱えず、パソコンもだめ。とにかく道具という道具は殆どのものが、何に使うのか、どうすればいいのか分からない状態だった。

それが今では徐々にできることが増えてきた。

まず、私を呼ぶためのコールボタンを押すことができるようになった。

だから、今ではトイレで排泄ができるようになり、失禁することはなくなった。

排泄が終われば、トイレに設置してあるコールボタンで私に知らせることができるので、私は呼ばれるまで放っておくこともできる。

その夫が、トイレに入っている間にシャワートイレのリモコンを操作するようになった。最初、私がシャワーの操作していたのを見て、自分でもするようになったのだけど、始めのうちは、訳も分からずありとあらゆるボタンを押していた。だから、去年の冬には今日のようなことがしばしば起こっていた。

だけど、最近はシャワーの入り切りしか操作してなかったので安心していたけれど、今日は他の部分もいじってしまったのだろう。

 

テレビのリモコンも然り。初めはボタンというボタンを押していたけれど、最近では「5を押してくれる」といえば、毎回ではないけれど押せるようになってきた。

そして、カレンダーも時計も少しづつ理解できるようになってきたと感じている。

だから、もしもトイレが冷たかったとしても、これも回復の過程だと思い、大きな心と目で見守らなくてはいけないのだろうね。