えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

トイレの日

ブラウザを立ち上げると「11月10日はトイレの日」という文字が目に飛び込んできた。どうやら、今日はトイレの日らしい。

毎日、何やら記念日があるけれど、大体ごろ合わせが多いような気がする。3月3日が耳の日とか、8月7日が鼻の日とか、等など。

11月10日がどうしてトイレの日だろうと、ちょっと興味が湧いて調べてみた。トイレにはいろんな思い出や、思いもあるから。

すると、1(い)1(い)10(ト)イレということで、やっぱりごろ合わせだった。

日本トイレ協会がもう27年も前の昭和61年に制定したそうだが、日本トイレ協会なるものの存在も、トイレの日も初めて知ったことだった。

 

我家では小学2年生の時に和式の水洗トイレになったけれど、それまでは所謂ボッチョントイレだった。小・中学時代、学校はずっとボッチョンだったと記憶している。

ボッチョンは臭いが強烈だし、何だか落ちそうで怖かった。しかも、外でトイレに入ると便器が汚れていることが多く、その時代はトイレに行くのが嫌でたまらなかった。

だからなのか、子どもの頃はトイレの夢をよく見た。

山なのか、どこなのか分からないけれど、出先でトイレに行きたくなる夢。トイレを探して入ろうとすると汚くて、汚くて入れない。別のトイレを探して入ろうとしても、そこも汚くて入れない。何か所探してもみな同じ。すると誰かが「そこですればいいじゃない」と言う。でも、トイレじゃないところではできない。「どうしよう。どうしよう。漏れちゃう~」という所でいつも目が覚める。幸い、ギリギリのところでいつも目を覚ましたけれど、もしも、そこでしてしまったら、おねしょになったのだと思うとぞっとした。

その夢は何回見たか分からないぐらい見た。今でもはっきりと覚えている。でも、いつの頃からか、睡眠中にトイレに行きたくなっても、大人になったということだろうか、そんな夢は見なくなった。

 

我家のトイレは男性用の小便器が手前にあって、奥が個室だった。それを37年前に小便器をなくし、ウォシュレットの洋式暖房便座にリホームした。だから、幅は狭く、車いすがやっと入れるぐらい。だけど、奥行きは車いすが入っても私が介助できるスペースはある。倍の幅があれば夫は一人で用足しができるかもしれないけれど、今は180℃回転しないと便座に座れないから介助が必要なのだ。とはいえ、介助があれば快適なトイレで用足しができるのだから有難い。

今では外出先でも多目的トイレが増えてきた。ウォシュレットのところも暖房便座のところも多い。

右麻痺の夫にとっては使いにくいトイレの方が多いけれど、多目的トイレはいろんな人が使うからそれは仕方がないこと。広いトイレがあるだけで十分有難いことだと思っている。

家でも外でも、例え使いにくいトイレであっても、今の時代、どこのトイレもほとんどがいいトイレであることには間違いない。