えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

一気に暗い気分

この間、お見舞いについて書いた。

その時、自分はお見舞いは極力遠慮したいと思っているけれど、今入院中の叔母のお見舞いをどうしようかと。

叔母は夫の身内。だから、私の気持ちより夫の気持ちを大事にしなくてはいけない。

それで、夫の姉から叔母が入院したという話を聞いた後、夫に何度かお見舞いについて確認した。今の夫がどれだけ理解できるのか分からないけれど、行きたいと思うのか、行きたくないのか。行った方がいいと思っているのか、行かなくてもいいのか・・・

言葉を変え、日にちも変え、叔母の状態を話しながら、何度かお見舞いについて話してみた。すると、夫はいずれの時にも「行きたい」と意思表示したのだ。

 

父が入院中、肺炎を併発し呼吸器を装着した。そして、40日ほど頑張ったけれど、亡くなった。

父は4人兄弟の末っ子で、兄弟はすでにみんな亡くなり、実家は従兄弟があとを継いでいた。

父方の親戚に亡くなったことを知らせると、駆けつけてくれた従兄弟たちに私と兄は怒られた。「なぜ入院している時に知らせてくれなかったのか」と。そして「生きている時に会うのと死んでからでは意味が違うのだ」と。

私も兄も、父が入院したことをあえて知らせなかった。父は呼吸器をつけ意識もなく話すこともできなかったから。それに何より、もう代が変わっていたから。だけど、従兄弟たちにとっては父は叔父なのだ。「生きているうちに会いたかった」と言われれば返す言葉がなかった。

 

そんなこともあって、一度たりとも「行かなくてもいい」という反応ではなかった夫に「お見舞いは遠慮した方がいい」とは言えなかった。それで、今日は夫と一緒に叔母のお見舞いに行くことにした。

 

病室はナースステーションのすぐ隣の4人部屋だった。今現在は個室である必要はないけれど、看護度が高いからナースステーションのすぐ隣というところだろうか。

ドアは開いていたので、声を掛けて病室に入ると叔母は眠っていた。

痩せこけた顔には酸素カニューレが付けられ、以前から細身ではあったけれど、ふかふかの毛布でさえぺちゃんこに感じるほど身体の厚みはなくなっていた。

余りに痛々しい姿を目のあたりにし、私はその時点でやっぱり後悔した。来なければよかったと思いながら、寝ているならばそのまま帰りたい衝動に駆られた。

だけど、夫の顔を見ると心配そうに叔母の顔を覗き込んでいる。それで、意を決し「おばさん・・・」と声を掛けてみた。2度ほど声を掛けると、叔母はゆっくりと目を開いた。

「わかる?」と聞くと、頷いたので私たちのことは分かったのだろうと思う。だけど、弱弱しい言葉は聞き取りにくく、かろうじて聞き取れたのは「こんなに痩せてしまった」という言葉と「昨日はお父さんの葬式だった」という言葉。「お父さん」というのは多分10年以上前に亡くなった叔父のことだと思う。

姉がお見舞いに行った時にははっきりとした口調で話したという。でも、今日ははっきりしていない。こうして徐々に枯れていくのだろう。そう思うと何だか寂しくなってきた。

帰る前に夫の手を叔母の手に握らせ「おだいじにしてね・・・」とだけ言い、帰ってきた。

 

病院までの道中は私が勤めていた頃の通勤路。その頃工事中だった一部の区間は最近開通し新しい道になった。古い道は用なしになり、新しいものが活躍する。そうして代も変わっていくのだろう。

いつもだったら、道中で見ることができる視野いっぱいに広がる大パノラマの弓張山地の景色に癒される。だけど、今日はその景色を見ても心は晴れないまま、暗く沈みこんでしまった。

お見舞いに行ってよかっただろうか・・・

会えて話ができたのだから良かったと思いたい。少なくても夫にとっては良かったのだと。