相田みつをさんの「にんげんだもの」という本の中に「のに」という詩が載っている。
のに
あんなに世話を
してやったのに
ろくなあいさつもない
あんなに親切に
してあげたのに
あんなに一生懸命
つくしたのに
のに・・・・・・
のに・・・・・・
のに・・・・・・
<のに>が出たときはぐち
こっちに<のに>がつくと
むこうは
「恩に着せやがってー」
と 思う。
・・・・・・
今日から二月。
正月に帰省しなかった二男は「一月のうちには帰省するつもりでいるからね」と言った。だけど、結局帰ってこなかった。
帰って来ると言ったのに・・・
楽しみに待っていたのに・・・
心配しているのに・・・
と、この間から「のに、のに、のに・・・」ばかりが出てくる。
夫の親友Kちゃんは保険の仕事をしていた。だから、自動車保険と火災保険はもう40年ぐらいKちゃんの会社と契約をしている。
そのKちゃんから昨日付で完全に退職すると聞いていた。そして「一月中には後任者と一緒に挨拶に行くからね」と。
まあ、実質的な仕事はしないけれど、役員として名前は残るから、全く縁が切れてしまうわけではないと思うけれど。
でも、結局来なかった。私たちが留守中に来た時にはいつも郵便受けに名刺が入っている。だから、やっぱり来てないのだと思う。昨日、後任者の名前を書いた挨拶状は届いたけれど。
「忙しかったのかな」と思いながらも
一月中に後任者と一緒に来ると言ったのに・・・
頼りにしていたのに・・・
後任者の携帯電話の番号も教えてくれると言ったのに・・・
と、こちらも「のに、のに、のに・・・」と昨日から心の中で言い続けていた。
相田みつをさんが書いている<のに>と私の<のに>は少し違うかもしれない。
相田さんは、むりすると「のに」がつき「ぐち」が出ると言い、お布施に例えて書いている。「むり」だと思えば減らす。でも「ケチ」ではいけないと。「のに」や「ぐち」が出ない範囲内に仕事でも人の世話でも、その量を減らし、そのかわり「のに」や「ぐち」が出ない範囲内では精いっぱい生き生きとやることだと。
私の<のに>も愚痴には違いない。だから、やっぱり「のに」は良くないと思う。
二男は「一月のうちには帰省するつもりでいるからね」と言ったけれど、その気持ちに嘘はなかったのだと思う。たぶん。
思ってくれただけでも嬉しいじゃないか・・・
忙しいのに無理をさせることはないじゃないか・・・
時間が取れたら来てくれると思うから待っていよう。
そう思うことにした。
Kちゃんも「一月中には後任者と一緒に挨拶に行くからね」と言ったけれど、その気持ちに嘘はなかったのだと思う。たぶん。
きっと時間が取れなかったのだろう。
挨拶状は届いているし、困ることがあれば相談には乗ってくれるはず。
話せなくなった夫のところに今でも時々遊びに来てくれるぐらいだから、友人関係まで切れることはないと確信しているし・・・
ひょっとしたら、いつも日曜日に遊びに来てくれるから明日あたりひょっこり来てくれるのかも・・・
「のに」を止めて「けれど」にしてみたら気持ちがだいぶ変わってきた。
相田みつをさんの詩のように、こっちに「のに」がつくとロクなことがなさそうだ。
大事な二男と大事な夫の友人。二人とも忘れていることはないと思うから、売り言葉に買い言葉みたいにならないように「のに」はもうどこかに捨ててしまった。