えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

法多山の思い出

兄が高校受験の年、母は一人で法多山まで合格祈願に出かけた。

法多山まで行くには、市電で駅まで出て、東海道本線で袋井まで行き、そこからバスに乗り継いで行くのだ。

それまで土曜も日曜もなく、朝から晩まで働きどおしだった母がどこかに出かけることなど滅多いないことだったので、私はちょっと驚いた。

兄は妹の私が言うのもおかしいけれど、ものすごく成績が良かった。だから、滑り止めの私学も受けていなかった。「兄は絶対に受かる」と確信していた私は合格祈願なんて思ってもみないことだった。だけど、母にしてみれば、いくら成績が良くても受験は何が起こるか分からないからと、心配だったのだろう。

そのおかげかどうかは分からないけれど、兄は無事に合格した。

二年後、今度は私が高校受験を迎えた。私も私学の受験はせずに希望校一校の受験だった。

母は兄の時と同じように、私のためにも法多山まで合格祈願に行ってくれた。

そして、私も無事に合格することができた。

翌年、今度は兄の大学受験と弟の高校受験が重なった。

だけど、母はその年に限って法多山には行かなかった。

そのせいではないに決まっているけれど、二人とも残念な結果に終わってしまったのだ。

我家は決して裕福な家ではなかったので、兄は国立大のみの受験だった。当時は一期校と二期校の2校を受験できたので願書は二校に出していた。一期校に失敗した兄は自分のその時の実力では大学では通用しないからと、二期校を受験することなく、あっさりと浪人することを決めてしまった。

弟だけは希望校の他に私学の特進クラスの受験をし、合格していた。だから希望校には行けなかったけれど、そちらに進学し、大学には浪人することなく進むことができた。

その時、母は自分が法多山に行かなかったことをかなり悔やんだ。

兄の高校受験の前までは、母は神仏に何かをお願いすることなどなかったような気がする。ましてや合格祈願に行かなかったから合格しなかったとは考えられない。だけど、母はずっと悔やんでいたのだ。

翌年、母はまた兄の大学受験の合格祈願に法多山まで出かけて行った。

兄は浪人中の1年間、東京の予備校で寮生活を送った。そして、正月も帰ることなく勉強し、今度は無事に合格した。

だから、決して母のせいではない。その時の実力だったのだと思っている。

 

昨日、法多山名物厄除け団子をいただいた。 

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 法多山といえば、必ずあの時の母のことを思い出す。

 程よい甘さの厄除け団子を食べながら、遠い昔のことを思い出していた。