えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

地震は怖い

14日午前2時6分、瀬戸内海西部の伊予灘震源とする地震があった。Mは6.2と推定され、愛媛県西予市では震度5強だったそうだ。

 

看護学校の同級生Mちゃんは名古屋在住で、マンションの5階に住んでいる。

2時10分ごろ、数秒間だったけれど、結構強い揺れを感じ、目が覚めたという。

その後、しばらく眠れなくなったそうで、私にメールをくれた。

もちろん、私が読んだのは朝になってからのことだけど。

 

メールには愛媛と名古屋ではかなり距離があるけれど、目が覚めるほどの威力で伝わってきたから、愛媛の人たちはさぞかし驚き、恐怖を感じたことだろうと。

そして、自分の寝室は家具などは置いてないけれど、この頃、油断して非常袋と靴を枕元に置いてなかったので、地震で目覚めた時に一瞬「どうしよう」と頭が真っ白になったと書いてあった。

 

私はというと、全く気が付かず眠っていた。

我家は、同じ愛知県でも名古屋とは70Kぐらい離れている。

だから、揺れなかったのか、それとも感じなかっただけなのかは分からないけれど。

 

震度5強というと、かなり強い地震だ。

夕刊には、地震の揺れで外壁が崩れたとみられるビルの写真と、19人の方がけがをされたという記事が載っていた。

 

地震は恐い。ほんとに恐い。

 

我家の辺りでも、今から17年ぐらい前に震度5ぐらいの地震が起きたことがある。

当時、長男が一浪して大学入試を終えたばかりの頃だったと思う。同じように一浪した友人H君が我家に泊まりがけで遊びに来ていた。

H君は長男と同じ高校の同級生。浪人中にお父さんが亡くなり、お母さんの実家である富山県に引越していた。彼は長男で、妹さんが1人いた。

 

地震が起きた時、長男は母屋にいて、私とH君の二人が離れの2階にいた。

母屋は平屋だけれど、離れは2階建て。どちらも築40年ぐらいの安普請の木造家屋だ。

そして、離れの2階は本箱がいくつも置いてあった。

その時、本箱が激しく揺れて家ごと潰れるかと思ったほどだった。

私は「H君に何かあったらどうしよう・・・」と、咄嗟に本箱を横から手で押さえていた。

本来ならば危ない行動なのだろうけれど、本能的に抑えてしまったのだ。

結果的には本箱が倒れることも、家が潰れることも、H君が怪我をすることもなかったけれど、その後しばらくは腰が抜けてしまい、放心状態になってしまった。

 

その日はたぶん休みの日だったと思う。二男は近くのコンビニに出かけていて、コンビニでは棚から商品が飛び出して大変だったと言っていたから。

 

「愛媛ではあの時ぐらいの地震だったのか・・・」と思うと、Mちゃんではないけれど、さぞかし驚き、恐怖を感じたことだろうと思う。

 

私も当時のことを思い出し、恐怖が甦ってきた。

地震は恐い。ほんとに恐いと思う。

震度5を1度経験しただけでも、こんなに恐かったのだから、阪神淡路や東日本大震災のことを思うと言葉がない。