えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

不幸に見えるのかしら

夫は退院してからの半年間、訪問リハビリと訪問入浴という家での介護サービスは利用していたけれど、デイサービスやデイケアを利用することはなかった。

それは、夫が倒れる前に「年をとってもデイサービスには行きたくない」と言っていたから。そして、退院時にデイサービスという言葉を聞いただけでも険しい顔になってしまったので。

だから、当時は買物に行くのも1週間か10日に1度ぐらい。夫の状態をみながら、一番近くのスーパーへ出かけていた。それも慌てて30分ぐらいで帰って来るようにして。

それでも帰ってきたらトイレで転倒していたことが2回ほどあったので、私は美容院にも行けないでいた。

そして、夫はまだ自分自身を受け入れることができなかったのか、家の敷地から外には出ようともしなかった。だから、私たちはどこにも出かけることはなかった。

そんな状態で介護していたものだから、夫の弟が私のことを心配し、夫に「デイケアに行って、もっとリハビリをした方がいいと思うよ」と説得してくれるようになった。

私も「デイサービスは介護サービスだけど、デイケアはリハビリをするところだからね」と、その違いを何度も説明した。ま、実際にはそう変わらないかもしれないけれど。

そうして、デイケアを利用し始めるようになり、今では彼方此方に出かけるようになった。

 

デイケアに行くようになる少し前ぐらいから、夫は徐々に道路にも出るようになった。

近くを散歩し始めた頃、車いすを押している私に少し離れたお宅の方が話しかけてきた。今まで一度も話したことがない方だったけれど、その方のご主人も車いす生活になったそうで声をかけたようだった。そして、その後も会えば私に話しかけるようになった。

ある日、その方が私に話したいことがあると電話をしてきた。そして、お友だちと一緒に伺っていいかと。

「ひょっとしたら・・・」と思ったけれど、まあご近所さんのことなので断ることもできずに待っていたら、やっぱり宗教の勧誘だったのだ。

私は先祖代々のお寺とのお付き合いもある。お墓もお守りしなければならない。それに何より、私は信心深くはないので新しい宗教に入る気など毛頭ない。だから、布教のための冊子も含め、丁寧にお断りした。

 

実は昨日も、岡崎に河津桜を見に行った時に同じようなことがあったのだ。

車いすを押しながら散歩していた私たちに50代後半のご婦人が話しかけてきた。

ご主人が20年前にくも膜下出血で亡くなり、娘さんも突然亡くなってしまったと、ご自身のことを話し始めた。そして、夫に「命があってよかったですね」と言い、夫や私に励ましの言葉をかけてくれた。

そこまでは良かったのだけれど、次の言葉が「実は私は・・・」と言いながら、バックから宗教のパンフレットを出して布教活動が始まったのだ。

車いすに乗っている夫、それを押している私。

人から見れば、その姿は見るから大変そうで「不幸な人」に見えるのだろうか・・・

その方も、ご近所の方も、ご自身の話は本当のことだと思っている。そして、宗教活動をすることで幸せになれるのならばそれでいいし、私はそれを否定するつもりもない。

だけど、誰彼かまわず布教活動をしていたわけではないのだ。

車いすの私たちだから話しかけてきたのだと思う。

そう思うと、やっぱり「不幸な人たち」だと思われたのだろうか。

夫は言葉が話せないからどう思っているのかは分からない。

だけど私は、かなり不自由にはなってしまったけれど、決して「不幸だ」などと思ってはいない。細やかであったとしても、楽しみを見つけ出し、穏やかに暮らせているのだから。

もちろん、宗教に関しては丁寧にお断りしたけれど、何だかご近所さんの時のことも思い出し、複雑な気持ちになってしまった。