えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

雑草の花はかわいそう

夫がデイケアに出かけると、私は夫が留守中でないとできないことをしている。

例えば、私の友人と会うこと、美容院に行くこと、買物に出かけること、郵便局や銀行に行くこと等など、時間がかかる外出。

家のことでは、離れや物置の片付け、庭の草取り等など。

ま、外出でも短時間ならばお昼寝中に出かけることはできるし、家のこともできないわけではない。

だけど、夫は話すことができないし、トイレにも一人で行くことができない。

乳幼児と同じで、例え昼寝中であっても気配を感じるところにいないと心配なのだ。

電話が鳴ったり、玄関チャイムが鳴って起きてしまうかもしれない。

トイレに行きたくなるかも・・・

一人で車いすに移動しようとして転倒したら骨折の危険がある。

そんなことを考えると、夫が家に家にいる日は思うように動けないのだ。

 

今日は予定通り、夫はデイケアに出かけた。

食材の買出しと、税金を納めに行く予定はあるけれど、友人との約束はない。

今日は雨の予報だと思ったけれど、降ってはいない。

で、今日は庭の草取りをすることにした。

 

この間、新聞の土曜欄に資生堂名誉会長、福原義春氏の「道しるべをさがして カタバミの咲くころ」と題した文章が載っていた。

仰けから「雑草が好きだ。・・・」ときた。

私も外で見る分には嫌いではない。むしろ、花はかわいくて好きだ。

繰り返すけれど、外で見る分には・・・なのだけれど。

・・・・・・「雑草とは役に立たない草本」などという定義を見ると、

それはあまりに人間中心だと思うのだ。・・・・・・

・・・・・・カタバミコナジラミは、あの2㌢弱の小さな葉(カタバミの)の裏に住んでいるという。・・・・・・

人間が暮らしている世界と違い、地上10㌢ほどの彼らの世界は、温度や風の吹き方も異なる別のミクロコスモス(小宇宙)だ。

地球は、私たちに関係がないと思っている生物たちが一生懸命生きている、多様性に満ちた乗合船なのだ。カタバミは、そのことを改めて教えてくれる。

最近は毎日のように、夫の視覚に入るところの草取りをしていた。だけど、目に付かないところはどうしても後回しにしているので気になっていたのだ。

 

昭和天皇は「雑草という草はない。すべてに名前がある」と言われたけれど、カタバミホトケノザタンポポカラスノエンドウも、名前を知らない草も、我家の庭に生えていれば、いくら花がかわいいと思っても、みな同じ雑草なのだ。

もちろん、イライラするほどカタバミも生えている。

人間中心と言われようと、自分中心と言われようと、雑草は気になって仕方がない。

山や丘に出て眺めれば、かわいい花ばかりだとは思うのだけれど・・・

 

雑草や小さな虫たちを見ていると、確かに小宇宙だと思う。そして、一生懸命生きているとも思う。それでも、親の仇のように抜いてしまいたいのだ。

 

今日は約3時間、草取りをした。

で、今日のごほうびはやっぱり庭に咲く花だろうか・・・ 

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 多分、あやめだと思う。

肥料を与えなくて痩せた土地でもどんどん増えていく。

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アヤメに紫蘭に白いシラン。

写ってないけれど、手前にはナルコユリとドイツスズランがある。奥にはギボウシも。

草がまだまだいっぱい生えているのが見える。

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これは大好きな叔母からもらったヒメカンゾウ(だと思う)。

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草だらけの中でオオムラサキツユクサ が咲いていた。

これは1日花なので夕方には萎んでしまった。

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まだまだ「きれいになって満足」というところまではいかないけれど、それでも大分きれいにはなった。

これらの花たちと、かわいい花なのに取ってしまいたくなる雑草の花との違いはなんだろう・・・

取っておいて言うのも何だけれど、雑草といわれ、忌み嫌われる花たちが何だかかわいそうな気がしてきた。