えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

思うような順番で

この間、友人J子さんの美容院へ行った。

その日、J子さんは午後から定期受診日だったので予約は私だけだった。

で、私のお手入れが終わった後、一緒にランチを食べに行き、私が病院までアッシー君になることを約束していた。

病院までは車で行けば30分程度。いつもは市電とバスを乗り継いで行くので1時間半ぐらいかかるという。予約は3時だったので、ゆっくりランチを食べても十分間に合う時間だ。

 

J子さんはその日、受診を終えてから叔母さんの通夜に出かけると言った。そして、翌日は葬儀だと。叔母さんはJ子さんのことかわいがっていたからと、家族から「葬儀は最後までいてほしい」と頼まれたそうだ。

通夜が終わってから、開始時間ぎりぎりに間に合ったと、お礼メールが届いた。

 

そして、何日か経ってから再度メールが届いた。

そこには、叔母さんの葬儀を終えた4日後に今度は連れ合いである叔父さんが亡くなったこと。通夜と葬儀が続き、大変な一週間だったことが書いてあった。

叔父さんは身体が不自由だったそうで、これからの暮らしをみんなが心配していたらしい。それで、J子さんは「叔母さんが連れにきてくれた思う。急に二人とも目の前からいなくなって淋しいけれど、二人にとって最高の終わり方かな・・・」と言う。そして、命の虚しさ、はかなさを感じさせてもらていると。

で、メールの最後には「旦那さま、大事にね」と結んであった。

 

私はJ子さんの叔父さんがどの程度不自由だったのか知らないし、家族関係も知らない。

だけど、例え子どもがいたとしても、私は身体が不自由な連れ合いを残して逝くことがどんなに辛いことかだったかと想像する。ま、最期はどうだったか分からないけれど。

残された家族にとって、二人同時に逝ってしまうことはとても淋しいことだと思う。だけど、私は一緒に逝けたことを幸せなことだと思っている。

だからといって、叔母さんが連れにきてくれたかどうかは分からないけれど。

 

私は常々、不自由な夫より1日でも長く生きたいと言っている。できれば夫を先に見送り、夫には悪いけれど、しばしの自由を味わってから逝きたいと思っている。

もしも、それが叶わないならば、あの世からすぐに迎えにくるつもりだ。夫のためにも、子どもたちのためにも、そうしたいと思っている。ま、あの世には行ったことがないので迎えに来れるかどうかは分からないけれど、今の気持ちはそう思っているということ。

 

J子さんからのメールで叔父さんのことを聞き、私たち夫婦の最期のことをまた考えてしまった。私が思っている順番で逝かせてほしいと願っていることを。