子どもの頃、祖母はどくだみの葉を煎じていた。
そんな時、家中に漂う何ともいえない臭いに閉口し、私はどくだみが嫌いだった。
どんな花かを知らなかったわけではないのだから、花の近くでも臭いを感じていたのだろうか。
それがいつの間にか、どくだみは私の大好きな花の一つになっていた。
去年も書いたけれど、30代の頃、我家の庭に植えるつもりで、中学の同級生宅に生えていたどくだみをもらったことがある。
で、当時庭を管理していた義母には内緒で、夫と二人して物置の裏側に植えたのだ。
だけど、きれい好きで庭には草1本もないほど手入れしていた義母に見つからないはずはなく、あえなく抜かれてしまったのだ。
それ以来、どくだみの花は近くの道端で楽しむようになった。
去年、そんな話を友人にしたところ「庭に植えたら・・・」と言い、鉢に植えたどくだみを持って来てくれた。
だけど、最近の私は取っても取っても生えてくる草には閉口しているのだ。
どくだみもどんどん増えることは間違いない。だから、いくら好きな花でも庭に植える気にはならなかった。
で、いただいた鉢のまま楽しみ、花が終わってからもそのまま放っておいた。
それが今朝 、小さな花が一輪咲いていたのだ。
狭い鉢の中で痩せているけれど、やっぱりかわいらしい。
ほんとは半日陰のところで1輪、2輪、ひっそりと咲いているのが好きなのだけれど・・・
これは、去年も書いた川端茅舎の句だ。
この句を読むと、物置の裏みたいなちょっと薄暗いところで一輪、二輪、ひっそりと咲いているどくだみの花が目に浮かんでくるような気がして、私の大好きな句だ。
そして、夫が倒れる何年も前に読んだ雑誌には「どくだみの花には修道女の中に宿るエロティックなものを感じる」みたいなことが書いてあった。「それも然り」という感じがする。
かわいいけれど、気品があって、清楚のようでもあるけれど、エロティックな雰囲気を醸し出している。そんなどくだみの花は実に魅力的な花だと思う。
だけど・・・
滝野瓢水の「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」ではないけれど、どくだみの花も鉢で眺めるよりも、やっぱり野山や道端の方が似合いそうな気がしているのだ。
これはおまけ。
去年いただいた時の方が栄養状態がよさそうだ。