夫は61歳の時脳出血で倒れ、その後遺症で右半身マヒと失語症をはじめとする多くの高次脳機能障害が残った。
マヒは重度で車いすの生活。その上、失語症・失認・失行・右半身の注意障害等を抱えた夫は当然のごとく就労不能となった。そして、自営業だった夫は倒れた時点で無収入。当時はまだ私が働いていたので何とかすることはできたのだけれど、医療費をはじめ生活費が重くのしかかってきた。
脳出血の場合、最低半年間は障害者の申請も、障害年金の申請もできない。半年経っても医師が「将来、回復の見込みがない」と診断しなければ、やっぱり申請することはできないのだ。それは後遺症は回復の可能性があるものなので止むを得ないことは分かっている。しかし、障害が残り、仕事に復帰できないことが予測される状態で支出ばかりが増えていく生活は将来への不安を助長させた。
夫の場合、半年経った時点で主治医は「将来、回復の見込みはない」と診断し、障害者の申請と障害年金申請のための書類を書いてくれた。
その結果、夫は身体障害者1級と認定され、年金も1級の障害者年金を受給できることになった。ま、厚生年金の加入期間もあるので障害年金を選択してのことだけれど。そして、障害者医療の恩恵にも与っている。おかげで医療費の負担はなくなり、贅沢さえしなければ、預金を少しづつ崩しながらも生活が成り立つようになった。
今月、夫は65歳の誕生日を迎える。
今はまだ障害基礎年金だけの受給だけれど、65歳というと、私たちの年齢は年金が満額受給できるようになる年だ。
それでか、日本年金機構から夫に親展の封書が届いた。そして、中には説明書がついた書類と診断書が入っていた。
説明書には「65歳からも障害基礎年金2級以上で継続認定と決定した時は、65歳から老齢厚生年金と障害基礎年金の併用が可能になります。・・・・・・診断書と一緒に・・・・に提出・・・」と書いてあった。
で、同封されていた診断書を見ると、現況を詳しく記入するようになっていた。
発症から半年後に提出した診断書で障害基礎年金の受給が決まった。その診断書には症状が固定したこと。固定したと診断した月日。そして今後、症状の良くなる見込みはないことがハッキリと記入してあった。それなのに今回も診断書が必要だというのだ。ま、お金が動くことなのでこれも致し方ないことと思い、診断書のために受診することになった。だけど、 どこに受診したらいいのか悩んでしまうのだ。
夫は回復期リハビリ病院を退院後、救急搬送された急性期病院で高血圧と痙攣予防の内服治療を受けている。そして、リハビリはデイケアと訪問リハビリ。なので、急性期病院の主治医は夫の障害の程度は知らないようなものだ。
障害者の申請や年金の申請書類は回復期リハビリ病院で書いてもらった。だけど、退院後は診断書のために1回、装具のために1回受診しただけ。
で、悩みに悩み、先ずは回復期リハビリ病院に書類を持参し、聞きに出かけた。結果から言うと、受診すれば書類は書いてくれることになった。
そして、今日がその受診日だった。まずは医師の診察。その後、PT(理学療法士)とST(言語聴覚士)の評価を受けた。
当時主治医だった医師は既に退職していた。そのため、初めての医師が対応してくれたのだけれど、その医師「何だか大丈夫かしら・・・」という感じだったのだ。
呼ばれて診察室に入ると、医師は書類ばかりを見ていた。私はそこでまず、書類が理解できていないような気がしてとても不安になった。
私は書類を預ける前に記入内容を把握しておいたので、必要と思われることを説明した。だけど、カルテには何も書く気配はなかった。そして、夫の目を見てきちんと話はしてくれるのだけれど、状態は全く分からないような気さえしたのだ。その上、PTの評価を待つ間に看護師からどういう書類なのかと聞かれた。診察室で説明したのに医師は聞いたけれど忘れてしまったと言っていたとかで。
ま、医師はPTとSTが評価したものを書くだけかもしれない。だけど、私が説明した部分も必要になるはずだと思う。その部分を書かなかったとしても評価には影響がないかもしれないけれど。
医師は必要以上に丁寧な言葉で対応してくれた。だけど、大丈夫だろうかとほんとに心配になってしまったのだ。
回復期リハビリ病院の医師ならば、診断書の種類やその意味ぐらい分かっていてほしい。その診断書で障害年金が継続されるかどうかが決まるのだから。
もしも、継続できなくなったら、あるいは1級から2級になったとしたら・・・と思うと、私は心配でならないのだ。私たちの今後の生活がかかっているのだから。ほぼ、変わりがない状態なので、たぶん継続できると思っているけれど。
診断書を提出し、その結果の連絡が来るまで、私は健診結果を待つ時のように心配でならないのだ。そんな思いは裕福な医師には伝わることがないだろうけれど・・・