昨日、新聞に『日本航空がシステム障害で大量欠航したトラブルについて、自社のフェイスブックのサイトに謝罪文を載せたところ、全日空機長が「倒産して税金でやってる会社・・・・調子に乗ってんじゃねえよ!」と実名でコメントを書きこんでいたことが分かった』と報じていた。
全日空は外部からの指摘で書き込みを把握し、機長にコンプライアンス(法令順守)意識の徹底などを指導し、機長は書き込みを反省しているそうだ。
実名のフェイスブックでさえも「書きこんだ後の反響を想像しなかっただろうか・・・」と思うような、こんな汚い言葉でコメントを残すのだから、匿名のブログやツイッターやラインなどでは表面化されている以上に誹謗中傷や暴言が横行していることだろう。
我家の長男は、はてなではないけれど、もう10年近くブログを書いている。そして、フェイスブックは6年ぐらいになる。
で、両方とも主に書いているのは読んだ本の読後感とラグビーの話。あとは、日々のこと等など。
もう何年も前のことだけれど、ブログにラグビーのことを書いた時、酷い誹謗中傷のコメントを書かれたそうだ。私はその記事もコメントも読んでないから内容は分からないけれど、書いた本人も嫁のN子さんも驚くような書き方だったという。
3年ぐらい前、息子とN子さんが私と彼女のお母さんをフェイスブック上の友人にしてくれたので、息子たちが書いた記事を読むことができるのだ。だけど、私は親なので読むだけ。「いいね!」をすることも、コメントを書くこともない。書きたいことがあればメッセージを送るようにはしているけれど。
そのラグビーの記事にもひどい暴言コメントが書かれたことがある。それはすぐに削除されたけれど、私も読んだ。ほんとにひどい暴言だった。
どんな意見にも反論はあると思う。だけど、誹謗中傷、暴言の類は許せるものではない。反論したいのなら、コメント欄に「自分のところに違う意見を書きますから読んで下さい」と書いて、自分のニュースフィードに自分の考えを理路整然と書けばいい。暴言など吐かずに。
今、私が楽しみに拝読していたブログが閉じられようとしている。コメントのせいで。
私の記事を読んで下さっている方はそのブログがどなたのものであるか分かると思う。だから、敢えて名前は書かないけれど、私は残念でならないのだ。
繊細で研ぎ澄まされた感性。そして、嫌いなものを嫌いと言っていても、私にはその心の奥底にやさしさを感じとることができるのだ。だから、ターゲットにするようなコメントを書いた人に「あなたには知識と経験に裏打ちされた言葉の奥底にあるものが見えないのか、感じないのか、想像できないのか・・・」と言いたい気持ちだ。
去年、私が車いすの夫と初めて新幹線で東京に行きたいと思った時、雨を心配する私に、その方は「ご主人が了承されれば、東京駅のホームまで伺いますよ。・・・雨が降っても、もうひとりいれば傘をさしかけることができます。・・・」とコメントを下さったのだ。もちろん見ず知らずの私たちのために。
その時、私はものすごく感激したことを覚えている。たぶん、お父様の介護を経験し、今はお母さまの介護をされている方なので、不安がる私に自然と手を差し伸べようとしてくださったのだと思っている。だから、まだ悔しいし、何だか悲しいのだ。
だけど今は、その方が心の平穏を保てるように、また書けるところが見つかることを願っている。そして、寂しいけれど、私はまたブログに再開できる日を楽しみに待つことにしたいと思う。
もしも読んで下さったならば、お元気で・・・
そしてありがとうございました。