えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

たまには思い出してくれる友人がいる

若い頃、看護職を目指したにもかかわらず、看護の世界から離れ、事務職に就いていた時期がある。

 

私が「看護師を辞めたい」と母に言った時、母は何も言わなかった。ほんとは反対したかったのだと思うけれど、自分で決めてから話したので、言えなかったのかも知れない。後に父から「せっかく看護師の免許を取ったのに残念だ」という、母の言葉を聞かされた。

勤めた会社は大きな会社の支社だった。従業員数はほどほど。工事部門があったので男性社員が多く、女性は7人だけだった。そこで私は原価計算はじめ、支社の業績が把握できるような仕事を行っていた。だから、仕事がとても面白かった。ま、私が利益を上げる訳ではないのだけれど。

そして、電車通勤も楽しいものだった。市電に乗って駅まで行き、そこから名鉄電車で約50分。そして、地下鉄に乗換える。家を出るから会社までの通勤時間は2時間近くかかったけれど、始発駅からなので、早めに並べばラッシュでも座ることができた。だから、通勤電車の中はいつも私の読書タイムで、一番たくさんの本を読んだ時期でもあった。

 

転職して数年後、母が胃がんで倒れた。手術を受けたけれど、早ければ1年ぐらいで再発が考えられる状態だった。当時は手術以外の治療法はなく、再発すれば手の施しようがなかった。後は対症療法をするしかないのだ。それで、私は母の看病のため退職をした。

 

昨日、その当時の友人から電話があった。

その友人は7人いた女子社員の中で一番親しかった人だ。会社帰りに地下街でお茶を飲んだり、休みに会うこともあった。松本から上高地に一緒に旅したこともある。だけど、私が退職してからは一度も会うことがなかった。

それがいつ頃からか、ほんとにたまに、気まぐれのように電話をかけてくるようになったのだ。1年に1回とか2年に1回とか、もっと期間が開く時もある。

年賀状も来たり、来なかったり・・・

だけど、たまには私のことを思い出すようで「げんき~!!」と掛けてくるのだ。

前回はたまたま夫がデイケアに行っている時だったので、ゆっくり話すことができた。

何年か前にご両親が亡くなられたこと。彼女は3人姉妹の末っ子だったけれど、子どもさんがいなかったこともあり一人で介護を担ったこと。ご両親が亡くなられてから、財産のことで姉妹で揉めたこと。自分一人で介護したのだからと全財産を受け取ったこと。今はいろいろ習い事をし、楽しく暮らしていること。等など。

だけど、昨日はちょうど夫のことで手が離せなかったので、ほとんど話すことなく電話を切った。

明るい声だったので特に何かあったわけではないと思うけれど、私のことを思い出して電話をくれたということは、何か話したいことでもあったのだろうかと気になってしまった。だけど、夫がいる日にはゆっくりと話すことはできないのだ。

ま、いいか・・・

そのうちまた電話が掛かってくるかもしれないし、私も気が向いたらハガキでも出そう。それでいい。そういう仲でいいと思う。

何だか茨木のり子さんの「友人」という詩を思い出して読み返してみた。

友人  茨木のり子

 

友人に
多くを期待しなかったら
裏切られた! と叫ぶこともない
なくて もともと
一人か二人いたらば秀

十人もいたらたっぷりすぎるくらいである
たまに会って うっふっふっと笑いあえたら
それで法外の喜び
遠く住み 会ったこともないのに
ちかちか瞬きあう心の通い路なども在ったりする
ひんぴんと会って
くだらなさを曝けだせるのも悪くない
縛られるのは厭だが
縛るのは尚 厭だ
去らば 去れ

ランボウとヴェルレーヌの友情など
忌避すべき悪例だ
ゴッホゴーギャンのもうとましい
明朝 意あらば 琴を抱いてきたれ
でゆきたいが
老若男女おしなべて女学生なみの友情で
へんな幻影にとりつかれている

昔の友も遠く去れば知らぬ昔と異ならず
四月すかんぽの花 人ちりぢりの眺め
とは
誰のうたであったか