えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

もう4年

2010年9月29日、夫は脳出血で倒れてしまった。

何をどう考えても以前の生活に戻れるわけではないけれど、私は倒れる前の生活を思い出しては、未だに悔やんで悔やんで、悔やみ続けている。

 

夫の身内は、母もその母親も、母方の伯父・伯母もみんな高血圧だった。母親に食べ物の好みも、体格も一番似ている夫はその体質までもが似たのだろう。夫も50代の頃に高血圧と診断され、近医で内服治療を続けていた。

 

倒れる数年前から、夫は母親の介護を殆ど一人で行うようになった。

母は92歳を越えた頃から頭はしっかりしていたけれど、足腰が衰え、トイレに行くことができなくなった。だけど、デイサービスに行くこともなく、訪問リハビリと訪問看護を受けながら自宅で生活していた。

夫は自営業の合間に母の食事の世話をし、昼夜を問わずトイレの介助も行った。姉も手伝ってくれたし、私も夫ができない時には手伝った。だけど、それは介助量としてはほんの僅かにすぎず、殆どの介護は夫の手によってなされていた。

そして、倒れる前は夫の仕事もいくつか重なり、私の生活の拠点だった離れのリフォームも行っていた。

それらは全部、夫にとっては苦痛なことではなく、楽しみなことだった。大好きな母のこと、面白くてたまらない仕事、楽しみなリフォームだったから。

だから身体の悲鳴に気が付かなかったのかも知れない。その上、食生活が悪かった。遅い夕食に毎日のように飲むビール。それに伴う過食と。

私は食生活に関しては夫に警笛を鳴らした。けれど「大人だから自分で気をつけないと倒れても知らないよ」と言うだけで、それ以上のことはしなかった。後のことは、夫がとても楽しそうだったので眺めていただけだった。

高血圧に関しては、最低血圧が高く思うようにコントロールできなかったので心配はしていたけれど、近医できちんと治療を受け、内服薬も忘れずに飲んでいたのでまさか血管が切れてしまうとは思わなかった。

だからやっぱり、私がもっと夫を気遣っていれば脳出血を防げたのではないかと思ってしまうのだ。今更そんなことを言っても仕方がないことだとは分かっている。そして、今は命まで奪われなかったこと、ここまで回復したことをありがたいとは思っているけれど。

 

あれからもう4年なのか、まだ4年なのか。

あっという間のようでもあり、これから先、まだまだ続くのだと重い気持になったりもする。だけど、やっぱり「あっという間にもう4年」なのだろう。

 

これから先、何年生きられるか分からないけれど、この夫の介護は私に課せられた最期の仕事なのだろう。

そう思うと、夫への罪滅ぼしも含め、できる限りのことはやらなければと思うのだ。