えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

わたしは昭和の人間よ

今日は昭和の日だ。

私の頭には「4月29日は天皇誕生日」として刷り込まれていた時期が長いので、今日は「みどりの日」だった? えっ、何の日だったかしら・・・と、カレンダーを見るまで思い出せなかった。元天皇誕生日なので祝日だということはわかっているのだけれど。

 

今月初めごろの新聞だったと思うけれど、各地の公立博物館が『「昭和」の収集に力を入れている』というような記事が載っていた。

昭和30年代の居間の風景が再現されていたり、人生ゲームやオバQのプラモデル、ファミコンまで展示されているという。スーパーのチラシを集めているところもあるらしい。大量生産されたものはサイクルが早く、消えてしまったら入手が難しいという。

 

その新聞記事を読んだ時、昭和という時代はもうそういう時代なのだと、なんだか複雑な思いになった。昭和村というところだってあるし、勤めていたころ「平成生まれの子たちが入ってくる」と、驚いたことはもうかなり前のことだ。

 

なぎら健壱さんの「町の忘れもの」という本がある。 

町の忘れもの (ちくま新書)

町の忘れもの (ちくま新書)

 

 この本はそういった懐かしい時代のモノたちの写真とエッセイ集だ。

配達された牛乳瓶を入れる木の箱。木製ゴミ箱、看板類、ハエ帳・・・。いつの間にかなくなってしまったモノたち。

きっと博物館ではそんなモノたちを収集しているのだと思う。そして、寄贈されたモノが多いらしい。

 

我家にだって昭和のモノはたくさんある。

私が6歳の時に使っていたセルロイド製のお琴の爪入れ、中学生の時に買ったセルロイドの筆箱。小学生時代は幅の広い筆箱だったけれど、中学に入ると幅が狭いものが流行ったのだ。当時の時計もある。ファミコンだってまだ処分してない。ハエ帳だって2個もあり、いまだに使っている。そういえば、もうかなり前に新しいハエ帳が欲しくてホームセンターに行ったけれど、売っていなかった。子どもの時に使っていた火鉢は庭に置き、ミニスイレンとメダカが入れてある。そのほかにも友人宅が新築するときにいただいた千本格子の建具は離れのガラス障子と交換して使っているし、書きだしたらいつまでも書けるほど我家には昭和のモノがあるのだ。

決して骨董品を集めているわけではなく、愛着があって処分できないだけのことなので、博物館でもらってくれるなら物置や箪笥に仕舞ってある物なら差し上げたいぐらいだ。

まあ、その中でとびきり昭和のモノは実は私自身なのだけれど。以前、ちょっとしたことから二男に「母さんはやっぱり昭和の人間だね」と言われたことがあるぐらいだから。決していい意味ではなく、考え方が古いということで。自分だって昭和生まれなのに・・・