えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

長男って大変だなあ

夫がデイケアに出かけてしばらくすると久しぶりに兄が来た。

兄は珍しく黒っぽいスーツを着て、手には紙袋をぶら下げていた。

そして「今から〇〇の法事に行ってくる」と言い、「はいこれ。北海道の土産とお菓子」と、私に紙袋を手渡した。

 

兄嫁のYちゃんが北海道に行き、私にもお土産を買ってきてくれたそうだ。

写真の下がそれ。ロイズのピュアチョコレート。

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写真の上が地元の老舗和菓子屋「若松園」のお菓子。

こちらは兄が法事に持って行くご仏前というのか手土産というのか、を買いに行ったついでに私にも買ってきてくれたという。

Yちゃんは実家に帰省した時も、どこかに旅行に行った時も、いつも私にもお土産を買ってきてくれる。こうした二人の気遣いに私はいつもホントにありがたいと感謝している。

 

ロイズピュアチョコレートの箱を開けると中はこんな感じ。おいしそう!!

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こちらは若松園の黄色いゼリー。

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井上靖の「しろばんば」に出てくるゼリーということでパンフレットには「名作を食べる」と書いてある。

しろばんば 若松園記載抜粋(若松園の手提げ袋、パンフレットより転写)

 

そして若松園という大きな菓子屋へ立ち寄って、そこの喫茶部で菓子を食べた。(中略)黄色のゼリーの菓子でスプーンを入れるのが勿体ないように、洪作にはそれが美しく見えた。口に入れると溶けるように美味かった。洪作はこの美味さを知らせることができないのが残念に思われた。言葉でいくら説明しても説明出来るとはとは思われなかった。

ー略ー

若松園のことや豊川稲荷のことや話はあとからあとから湧いて来て尽きなかった。

若松園本店前には喫茶部があったそうだが戦時中に消失。井上靖が食べたと言われるゼリーのレシピも失われてしまった。それを井上靖生誕100年の2007年、静岡県の「井上靖文学館」から名菓復刻の依頼を受け完成させたという黄色いゼリーだ。

口に入れるとほんとに溶けるように美味しかった。1個378円。働いていたころならともかくとして、今はこうして貰わないと食べられない高級品だ。

お兄ちゃんいつもありがとう。うれしいよ。

 

私は兄と弟の3人兄弟。父は15年前、母は40年前に亡くなった。今は長男である兄がお墓と仏壇を守してくれている。そして親戚付き合いも。

 

今日は父のすぐ上の兄の連れ合いである伯母の法事だという。昨年、100歳を目前にしての大往生だったと記憶しているのでたぶん1周忌だと思う。

 

父は4人兄弟の末っ子で兄弟のうちでは最後に亡くなった。すぐ上の兄である伯父は45年も前に亡くなっている。それでも兄には伯母の葬儀も49日の法要も1周忌にも沙汰があるのだ。私と弟はいいけれど、兄には出席するようにと。もうほとんど付き合いはないし、伯母とは子どもの頃に1~2度ぐらいしか会ったこともないのだけれど。

兄はどう思っているのか聞いたことがないからわからないけれど、沙汰があれば必ず出席している。まあ、そんなことでもなければ父方のいとこたちとも会うことがないのだけれど。だけど、相手方は兄が長男であり跡取りだからあたり前だ と沙汰をし、兄も跡取りの役割だ思って出席しているのだと思う。

我家の夫は二男だけれど、早くに義兄を亡くしているので長男と同じ立場だ。兄と同じようにお墓と仏壇を守り、親が亡くなってからの親戚付き合いも兄と同じようにしている。

だから思うのかもしれないけれど、親が亡くなってからも行き来がある場合ならともかく、亡くなってから長い時が過ぎ、しかも行き来がなくなっている状態ならばもういいのではないかと私は思ってしまうのだ。「そんなもんじゃないよ」と言われそうだけれど。

 

今日も兄はご仏前にお金を包み、お供えのお菓子を買い、隣の県まで出かけて行った。そんな姿を見ていると「長男っていつまでも大変だな」と思ってしまうのだ。