えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

秋の一日「武井武雄の世界展」へ

今日は文化の日。祝日は夫の訪問リハビリはお休みだ。

お天気は見事なほどの秋晴れ。昨日と打って変わり雲一つない真っ青い空が広がている。気温は寒くもなく、暑くもなく、まさにお出かけ日和だ。

 

というわけで、今日はこの間から行きたいと思っていた地元の美術館へ「武井武雄の世界展」を観に行ってきた。

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この展覧会は、2014年に生誕120年を迎えたことを記念して、郷里・岡谷市にあるイルフ童画館の協力をを得て開催されたものだ。

 

2階の受付のところだけは撮影可とので撮ってみた。うーん、全部入らない。

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横のほうから撮ってみたけど、やっぱりいまいちだ。

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武井武雄は童画という言葉を初めて使った人。

買ってきた図録より

武井が美術学校を卒業し、油絵画家を目指していた大正中期は児童文化が花開いた時期でもあった。それまでにない質の高い児童雑誌が発行され、著名な文学者たちが次々と童話や童謡を寄稿した。1918年(大正7年)に鈴木三重吉が『赤い鳥』を創刊し、芥川龍之介有島武郎などが童話を、北原白秋などが童謡を発表した。翌年には野口雨情が初代編集者を務めた『金の船』(後に『金の星』)も創刊されている。

武井も最初は生活の糧を得るために『子供之友』などに絵を描くことを始めた。やがて、児童雑誌に絵を提供している多くの画家たちが、アルバイト気分で絵を描いていて、こどもの心に触れる絵を描いていないことに武井は不満を感じるようになる。

そこで武井は、こどもの心に感動を与える絵を描くには本当の芸術作品を提供する覚悟がいる、これこそ男子一生の仕事であると、こどものために絵を描く道に進むことを決意する。・・・・・・

子どものころに見たような、何だか懐かしくなるような、そんな童画の数々。

写真はないけれど「うらしまたろう」 浦島太郎が亀の背中に乗って竜宮城へ行く場面の絵は私まで吸い込まれそうだった。

すごろくまであり、私は子どもの頃を思う出しながら引き込まれていった。

他にも、版画や本の装丁、デザインされたもの、疎開中の娘さんのために古ハガキを使って手作りしたトランプ・・・など等。そして何篇かの詩も。

「青の魔法」と題された絵に書かれていた詩は心に刺さった。

青の魔法をかけられて    昔の空は青かった

青の魔法をかけられて    昔の海も青かった

魔法使いのいない今     空と海は灰色だ

地球は廻っているけれど   青の魔法を知るひとは

みんな僕らを見限って    月の世界に行ったのだ

                     1964年

地元の美術館でも観覧料が必要な企画展はたいていの場合見応えがある。もちろん、今回もとても見応えがあった。

 

これは買ってきた図録と絵ハガキ。

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 絵を観終えるともう12時30分ごろだった。家に戻って昼食にするつもりだったけれど、準備をして食べると遅くなるので美術館内の喫茶店でランチにした。そのあと三の丸会館に寄ってお抹茶をいただきたかったけれど、そこへ行く道中が工事中だった。なので今日は諦め、公園内を軽く散歩した。

 

公園内の木々はもう紅葉している。赤く染まっているのはたぶんナンキンハゼ。

正面の建物は市役所で、鉄塔はNHK。 

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三の丸会館に通じる道はイチョウがこんなに黄色くなっていた。

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 地面にはイチョウの落ち葉も・・・

青い空にさわやかな風が吹き、今日はとても心地よい一日だった。

そして、観終えた絵の余韻を楽しみながら歩いた。

外に出て、秋をこんなにも感じ、今日もいい一日だった。