名古屋に住む友人のMちゃんとはもう6、7年ものあいだ毎日のようにメールのやり取りをしている。
そのMちゃんからの1月2日のメールには「正月の街の様子を見てみたくて栄に行ってきたけれど、晴れ着の人は全く見かけなかった。ただ、大勢の人が大きな紙袋(福袋)を持ち歩いていたのでやはり正月だと感じた」とあり、正月の街を眺めての彼女の感想などが書いてあった。
そのメールを読んで、私は父のことを思い出した。
母が亡くなり、その2年後に私が嫁ぎ、子どもが生まれ、その子どもたちが保育園に行くようになってからの正月のことだけれど。
私が嫁いでから、父は同業者の友人に誘われ元旦にはお伊勢さんへ初詣に出かけるようになった。
2日には朝早くから市内電車に乗ってその友人と駅のほうまで樽酒の振る舞い酒をいただきに行った。友人も父も無類の酒好きでかなりの飲兵衛だった。だから、ただマス酒をいただきに行くだけなのだ。そして午後になるとテレビで箱根駅伝を見て、それを見終えると我家に来た。私としては我が家でゆっくりしてもらいたいのだけれど、父は私を「デパートの初売りに行こう」と誘うのだ。何か欲しいものがあるわけではない。ただ私にたち吉の福袋を買うこと、デパート内の喫茶店でコーヒーを飲むことだけが楽しみだった。
3日も、父は箱根駅伝を見終えると我家に来た。そして今度は「アピタに行こう」と誘うのだ。アピタでも何を買いたいわけではない。ただ一回りして、帰りにどこかの喫茶店でコーヒーを飲めばそれで満足だった。
父が亡くなるまでそんな正月が続いた。亡くなってからは正月に外出することはなくなったけれど、箱根駅伝が終わると父が来るような気がしてならなかった。
夫が倒れてからの正月は外出することがなくなっただけではなく、箱根駅伝を見ることもなくなり、正月に父のことを思い出すこともなくなっていた。それがMちゃんのメールから、今年はやたらに父のことを思い出していた。正月のことだけではなく、それ以外のことも。
今日は父の命日だった。
夫はデイケアに出かけたので、私はお墓参りに行った。そして、父との思い出深い喫茶店に行ってみようと思った。
父が倒れる前日、実家に行くと、父は「コーヒーを飲みに行こう」と言った。もう歩くのも辛そうな状態だったので「私が淹れてあげる」と言ったのだけど、父はどうでも外に行きたいと言った。それで、ある喫茶店に行ったところ、そこはすぐ横の駐車場が満車で入れなかった。遠くから歩ける状態ではなかったので諦めて違う喫茶店に行った。以前にも書いたことがあるのだけれど、そこで父は自分の最期が分かっているかのように話し始めた。「えむこには世話になったね。ありがとう。母さんの時にも全面的に世話になって・・・」と、私にお礼の言葉を言うのだ。それから本は図書館に寄付してほしい。小銭は善意銀行に・・・と。
喫茶店のどのテーブルに着き、どの椅子に座り、どんなことを話したのか、その時に事は今でも鮮明に覚えている。
父が亡くなってから喫茶店に行く回数はかなり減った。そして、夫が倒れてからは滅多に行かなくなった。父と最後に過ごした喫茶店にはもう15年も行っていない。
でも、今日は父を偲びたくてその喫茶店に行ってみたかった。それでお墓参りの後で寄ってみたのだけれど、今日はマスターの都合で11時で閉店だった。私が着いたのは10時45分だったけれど、残念ながら断られてしまった。
「じゃあ・・・」と、あの時入れなかった喫茶店に行ってみることにした。でも、残念なことにそちらは店自体がなくなっていた。15年間も行っていなかったのだからそういうこともある。時代が変わったということだろう。ちょっと寂しかったけれど諦めて帰った。
そして、昼食を食べてからコーヒーを淹れ、一人で父を偲んだ。