えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

継続するつもり

元気でいたいからと、ラジオ体操を始めたのが2月下旬ころだった。

初めのころは午前、午後と1日に2回やる日もあった。それがすぐに1日に1回になり、そして、夫がいる火、金、土、日だけになった。それでも4月までは必ずやっていた。

 

5月に入ると、大型連休で子どもたちが帰省し、準備と片付けも含めると中旬まで何かと忙しく、放っておいた庭の草も気になり草取りに励み、夏野菜を植え、それらが一段落するとチャドクガの幼虫の大量発生だった。いいわけではあるけれど、そんなこんなでラジオ体操をやる気にならなくて、丸々1か月間やることがなかった。

 

人間というのは、というか、年を取ると身体を動かさないでいると、本当に動かなくなってしまう。使っている部分はまだいいのだけれど、使わない部分の衰えかたはとても早い。

チャドクガの幼虫を駆除してから気持ちがすこし落ち着いたのか、今度は膝や腰や体力の衰えが気になりだした。ラジオ体操を始める前よりも衰えたのではないかと感じるほどだった。

 

ラジオ体操を始める前、足腰の衰えだけではなく、すぐ近くへごみ出しに行っただけでも息が切れた。階段も坂道もあるとはいえ情けないぐらいに。ラジオ体操も真剣にやると第一、第二と補助運動をやっただけで息が上がっていた。それが、しばらくすると息が上がることも、ごみ出しに行くぐらいで息が切れることもなくなり、膝も少しは良くなったように感じた。それが1か月やらなかっただけで元に戻ってしまったのだ。

 

昨日から6月に入り、気持ちも落ち着いたことからラジオ体操を再開した。

昨日はその初日。体操を一通り終えると息はハーハーとなり、情けないことに心臓の鼓動まで聞こえるようだった。

今日は2日目。昨日より少し良くなったような気がした。まだ膝の具合は良くはないけれど、続けていれば少しづつ良くなるような気がしている。

 

「継続は力なり」というけれど、何事もやり続けるということは努力することだと思う。大好きなことだったㇼ、生活の一部になってしまえば努力と感じることなくできるのかもしれないけれど。

 

まだまだ元気で暮らしたいと思っているし、この衰えたからだを何とかしたいとも思う。だから、ラジオ体操が生活の一部になってしまうまで、しばらくは努力して行おうと思う。せめて、夫が家にいる火、金、土、日だけでも。