えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

デジタル遺産

夫を自宅介護するようになって半年ぐらい経った頃、二人の生活は不自由であっても徐々に落ち着き、私は何かに飢えていた。それでか、長男が帰省した時に何かの話しのついでにフェイスブックに登録してくれた。当時はスマホではなかったのでPCの方で。電話は固定電話、メールも携帯のメールではなく、プロバイダーで登録しているものを使って。

 

フェイスブックには息子が時々投稿していたので遠く離れていても様子がよく分かった。私も元気に過ごしていることが伝わるようにと時々記事を書いた。だけど、親がしゃしゃり出るのはイヤで記事は読むだけで「いいね」をすることはなかった。私のフェイスブック上の友人は息子とそのパートナーだけだったので私の記事に「いいね」が付くこともなかった。

 

それから数年が経ち、ブログを始めた。それからはフェイスブックに記事を書くことはなくなったけれど、息子の記事を読んだり、地元の美術館や手作りサイトなど等、「いいね」を押した施設の投稿を読んだり今でも毎日チェックし楽しんでいる。

 

年末にガラケイからスマホに変えた。スマホにもフェイスブックのアプリが入っていたのでそちらでも見られるように登録することにした。PCの方では前述したように固定電話とプロバイダーのメールアドレスで登録していたので同じようにやろうとしたのだけれどうまくいかなかった。考えてみれば当然なのかもしれないけれど、電話はスマホの番号、メールはGメールでないとダメだった(アドレスは携帯会社のアドレスでもいいかもしれないけれど)。それでも、何とか登録を終えた。

すると、「知り合いかも」という表示が次々と出てきた。PCのほうでも出てはくるけれど、そちらではつながりになるものは友人として登録してある息子とそのパートナーだけ。だから、彼らの友人が共通の友人として「知り合いかも」と出てくるだけだった。ところがスマホで登録したら私の電話帳に登録してある人でフェイスブックをやっている人の名前が次々に出てきた。もう電話帳から削除した人までもが。その中には兄も弟もいた。弟はもう3年も前に亡くなったというのに。削除する人が誰もいないということはいつまでもそのままになるということなのだろう。金銭が絡むわけではないので良いのかもしれないけれど、これが世に言うデジタル遺産ということなのか。私は弟の名前を検索すれば顔を見ることができるのだから良いと言えば良いのだけれど、何だかとても複雑だ。本人が何年か開くこともなければ登録を抹消してくれるようなシステムになればいいのにと思いながら、ちょっと恐ろしくなった。