えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

夫の発熱

土曜日の夕方、夫が39.4℃まで発熱した。

気づいたのはトイレに座った後。発熱すると全く動けなくなってしまうのでそこからベッドまで動かすのは至難の業だ。それでも発熱となればコロナではないと思っても誰かに頼むわけにはいかない。必死でトイレから車いすに移動させ、車いすからベッドに移動させた。というか、なだれ込むように横になったのできちんと仰臥位に体制を整えるのも大変なことだった。

症状は発熱だけで呼吸器症状は見られない。夫が発熱すると救急車を依頼するしか受診の方法はないので頸部を冷やし、しばらく様子を見ることにした。座ることはできそうだったのでおかゆと消化の良さそうな副菜を作り夕食は食べてもらった。

日曜日になっても解熱する様子はない。1度解熱剤を使い37.0℃代に解熱したものの38.5℃以上の熱が続いた。

食事の方は朝はパンを食べることができ、昼はおにぎりにし、夕食は普通のご飯と消化の良い副菜(朝も昼も)を作り、食べてもらった。

熱はあるものの食事は食べることができるし、意識も清明。もちろん、水分も1日の必要量近くは飲むことができていた。

排泄は小さな方は濃縮尿ではあるが混濁も無く、通常よりは少なめだとは思ったけれど出ている。大きな方はまあ1日2日でなくても大きな問題はなさそうだ。

で、その日も様子を見ていた。

月曜日の朝、体拭きをしていたら右の顔面が目が塞がるほどに腫れていることに気づいた。こうなると放っておくのは危険だと判断し、救急要請をすることにした。

ただ、体拭きを済ませ、パジャマを着替えさせ、朝食を済ませたあとに。

 

この時期、あちこち出払っていて、少し遠くの消防署から出動してもらえることになった。

救急車が着くと色々聞かれ、受け入れ病院を当たってくれた。かかりつけの総合病院に断られ、程ほど近くにある法人の総合病院に断られ、結局、市内で一番大きい総合病院が受け入れてくれた。

病院に着くと、私は感染症が疑われるパーテーションで囲われた家族の待合所℃待つように言われ、一通りの検査が済んでから夫の元で待つように言われた。

コロナはマイナス。何か所もCTを撮ったけれど発熱の原因は分からず。しかし炎症反応は高い、ということで入院になった。病名は不明熱。

抗生剤の点滴で様子を見てよければ1~2週間の入院になりますと説明を受けた。

ただし、面会は禁止。荷物を届けるのもナースステーションまで。コロナの感染者がわが市でも600人以上も出ている今では仕方がないことだと思いながらも1週間も顔を見られないのはちょっと心配だった。失語症がなければそんなには心配しないのだけど。

 

夫が病棟に上がり、私が家に戻ったのはもう16時少し前。朝食から飲まず食わずでトイレにも行けずくたくただった。急いで水分を取り、冷ご飯をチンして卵かけご飯にしてかき込み、入院の準備をして再度病院に行き、自宅に戻ったのはもう19時30分を超えていた。

簡単な夕食を食べ、シャワーを浴びて床に就いた。

すごくすごく、すごく疲れた1日だったけれど、次の朝まで1度も起きることなく眠っていた。しかも7時過ぎまで。

夫は火曜日には解熱していたようで、今日は午前中に車いすにも乗せてもらえたようだ。この分なら、私の経験上、金曜日まで抗生剤の点滴をして、月曜日の朝、採血をし、炎症反応が正常値まで下がっていれば即その日に退院になるだろうと予測している。この時期なので病室が埋まり、緊急患者の受け入れ病室の確保が必要であれば、土日でも採血をして結果次第で退院と言われる可能性がある。私としてはいつでも退院を受け入れるつもりでいるので準備をしておきたいと思っている。

 

本当はこんなことを書くつもりではなく、

この間、何十年ぶりかでピンクのミニスイレンが咲いたこと。

この間からモミジバアオイが咲いて二人で本格的な夏を感じたこと。

そんな楽しいことをもっと詳しく書くつもりだったのだけれど・・・