えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

入院から退院、そして今までのこと

前回、夫が発熱し、入院したところまで書いた。

面会は禁止だから会えないことは分かっているけれど、汚れ物があれば持ち帰りたいし、足りないものがあれば次回の面会時に持っていきたい。それで毎日面会時間になると夫への手紙を持って病院に行った。

 

看護師さんたちは私がナースステーションの前に立っていると「お聞きしていますか?」と、誰もが声をかけてくださる。接遇はとてもいいと感じた。

ところが、これは・・・と思うところがたくさんで、がっかりするようなことも多かった。まあ、夫にはかわいそうだったけれど、急性期の病院だから仕方がないかと思うことにして諦めていた。

 

夫は抗生剤の効果か、翌日には解熱したようだ。抗生剤の点滴は決まった期間(1週間)施行する必要があるので熱が下がったからと言ってすぐ退院することはできない。

 

木曜日の日、主治医から電話があった。解熱しているし、目のあたりの腫れも引いた。炎症反応の値も下がっているので週明けには退院で良いでしょうと。で、月曜日の10時に退院することにした。

 

日曜日に我家の外用の車いすと、退院時に着る服を持っていき、退院までに必要と思われる物を残し、他の荷物はすべて持ち帰った。

 

退院の数日前、面会時間にナースステーションに行くと、看護師さんが「奥さん一人ですよね。リハビリの人が車いすに移動させるのも大変みたいですけど・・・」と言われた。そんな事を言われても私しかいない。頼めるにとだっていない。どんな状態であれ私一人なのだから。

退院時は車いすのまま乗れる介護タクシーが頼んであるし、今までだって理学療法士さんや作業療法士さんができなかったことをやってきたんだから。そう思って、退院した。

夫のような自分で動くことができない年寄りが1週間も入院すると、リハビリの方が1日に1回車いすに乗せてくれたとしても、あとの時間はベッド上の生活を余儀なくされる。それがどれほど身体機能を低下させるか、驚くほどだった。

 

介護タクシーを降り、外用の車いすのままベッドに行き、ベッドに移動してもらおうと思ったら立つことがままならない。車いすのサイドを跳ね上げ、何度も抱え、何とかベッドに移動させた。それから床を拭き、室内用の車いすに移動。それはもっともっと想像以上に介護量が必要で、さすがの私もそれだけでくたくたになってしまった。ただ、トイレだけは手すりや壁にもたれながらなんとか用足しができたので救われた気がした。

 

翌日の火曜日から訪問リハビリを開始。担当者は身体機能の低下に驚き、メニューを変更。歩行訓練はやめて立位保持訓練までとした。その立位保持訓練もままならない状態だった。

翌々日の水曜日はデイケアに行った。デイケアの方にはかなり身体機能が低下してしまったことを伝えて。

デイケアから帰宅してから外用の車いすからベッド、ベッドから室内用の車いすに移動するとき、ちょっと立位が保持できるようになったような気がした。というか、案外スムーズに移動できた。

木曜日もデイケアに行った。出かける前の移動、帰宅したときの移動、どちらも以前と変わらないぐらいにできた。まだ4点杖での歩行は行っていないけれど、私とでもできそぅなきがしている。

入院前の状態に戻ったようで何よりだ。

 

元に戻るが、退院した日、あまりの機能低下に今後のことを悩んでしまった。

家で介護することには変わりはないけれど。今回のことでホームドクターがないことも含めて。

 

車なら5分ぐらいで行けるところに訪問診療に力を入れている医院がある。私が75歳になったら車の免許を返納し、その医院に夫の訪問診療をお願いしようと思っていた。

今回のことで、もうその時期が来たのだと思い、その医院に訪問診療をしていただけるかを問い合わせてみた。

脳出血で倒れてから現在までのことを話したところ、医院では検討会を開いて訪問診療を受けるか決めるという。

検討会の結果、受けていただけることになり、来週総合病院の脳外科の受診の際に紹介状を書いてもらうことにした。夫の場合、今は血圧の管理とけいれんを起こさないように管理するだけだから、今では総合病院の脳外科である必要はないと思っている。

 

これで安心かどうかわからないけれど、とりあえずホームドクターができた。その医院は訪問診療以外にも緊急時の往診も受けている。今まで何年もの間悩みに悩んでいたけれど、何人ものケアマネから聞いた評判はすこぶるいい。夫の友人も最近何かあると受診するけどいいという。

まあ、訪問診療に移行するまでもうしばらくあるけれど、やっぱりこれで良かったのだと思いたい。