えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

突然の訪問者

先週土曜日のこと。

夕食の準備が終わり、さあ食べようかという時、玄関のチャイムが鳴った。

こんな夕方に誰だろうと出てみると、見知らぬ男性が立っていた。

その方は48年前に亡くなった夫の兄の名前を言い、ここはその人の家なのかと聞いた。そして、自分は義兄の大学時代の友人だと名乗り、自営業だった夫の看板を見てこの名前の人はどういう関係なのかと聞いた。

 

義兄の同級生だとすると、今年後期高齢者の仲間入りだ。

兄が亡くなった時、義父から電話をもらったけれどお参りには来ることができなかった。そして終活をしていたら手帖が出てきて、そこに自分が義兄から1万円を借りていたと書いてあったそうだ。だけど返した記憶がないと。だからと言って、それを返しに来たというわけではなさそうだった。もちろん、返したいと言われても亡くなった義兄が大学時代のことで私たちの知らない事でもある。だから受け取るつもりはないけれど。

その方は隣の県から来たと言い、もしも我家が不在だったならば郵便受けにメモのような手紙を入れて帰るつもりだったそうだ。だけど、在宅だったので嬉しかったと言い、できれば仏壇に線香をあげさせてほしいと言うのだ。そして2千円でも3千円でも供えたいと。それも嫌な言い方だけれど言葉だけのような気がした。

 

仏壇にお線香をあげるということは家に上がってもらうということ。兄の名前も大学名も亡くなった理由も知っていた。48年も前に亡くなった義兄のこととはいえ、私にとっても夫にとっても見ず知らずの人には違いない。本当に友人だったという保証だってない。今の時代、知らない人を家にあげるということに正直戸惑う。本当に戸惑ったけれど夫もいたことでもあるし、お参りさせてほしいと言われそれを断ることができなかった。仏間にお通しすると、少し涙ぐみながら手を合わせ、前述した借金のこと等をしばらく話して帰られた。

 

我家では親戚も夫の友人たちもみんな連絡なしで来ることの方が多い。どんなに突然でも「どうぞ、どうぞ」と上がっていただく。だけど、全く知らない人では訳が違う。住所がわかっていたのならばまずは手紙を出してくださればよかったのにと思う。そうすれば義兄のことがよくわかる義弟や義姉に声をかけることができたと思うし、いきなりではこちらが困るということは考えなかったのだろうか。いなければ置手紙に自分の電話番号を書いて後日電話をしてもらおうと思ったとも言われたけれど、それも自分サイドの都合ではないかと思ってしまう。電話代だってただではないのだから。

その方の心の断捨離には役に立ったのかもしれないと思いながらも嫌な自分の一面が心に重くのしかかり、しばらく気分がすぐれなかった。

 

その頃咲き始めた白い彼岸花。今まさに満開だ。