えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

カリンの実と義父のこと

我家は南面と西面に道路がある角地。正面入口は南だけれど、そこは10段ぐらいの階段になっている。

西側は本来裏口だけれど、南から北にかけて緩い坂になっているので、北西にある入口からは緩やかなスロープで道路に出ることができる。だから、夫が車いす生活になってからは、裏口を正面入口のように使っている。

道路に出るまでのアプローチには義母が生前に植えた草花が季節ごとに楽しませてくれる。裏口なので幅はあんまり広くないから、そこには木は植えてなかったはず。なのに、知らないうちに木が生えてきた。私はその木が車いすの夫に触れないようにと、時々刈込んでいた。枝の先が尖っていて刈込むのも大変だったけれど。

その木にだいぶ前に実がなっていることに気づいた。よく見るとそれはカリンの実だった。植えた覚えはないから実生だったのだだろう。

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我家にも20年ぐらい前にはカリンの木があった。でも、その木は虫が入って枯れてしまった。

カリンは高木なので、同じ木だとは全く気が付かなかった。花が咲いたことにも気づかなかったぐらいだから・・・

 

カリンの木は「金を貸しても借りない」という縁起担ぎの木。だけど、我家では縁起担ぎではなく、義父の命の恩人であり、神様のような木だったのだ。

義父は若い頃、体が弱く命が危ぶまれたそうだ。義父や義母、夫とその兄弟に何度も聞いた話によると、義父は腎臓を患い、尿が出ず、命が危なかったという。そして、医師にもさじを投げられたそうだ。それがカリンの実を煎じたものを飲んだところ、尿が出始め、命が助かったという。だから、その後は我家にとってカリンは何より大切な木になったのだ。

カリンには咳止め作用があるというけれど、利尿作用があるとはどこを調べても出てこない。だけど、夫の家族にとってはカリン=利尿作用とインプットされ、大事な木として扱われてきた。

 

昭和61年の今日、義父は亡くなった。享年、74歳だった。あれから、27年が経ったけれど、義父のことを思い出す時、カリンの実のことも必ず思い出している。

今日はこの実を摘み取り、仏壇にお供えした。

お義父さんが大事にしていた木は枯れてしまったけれど、実生苗からこんな実がなったからと。 

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今日は夫と二人、仏壇に手を合わせた。

明日は夫はデイケア。私は義姉が届けてくれたお花に義母が育てた小菊を添えて、義父のお墓参りに行ってこようと思っている。