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えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

御役御免で万々歳

息子たち一家がアメリカに渡り、9か月が経った。息子のアメリカ勤務の任期は2年間だから、あと1年と3か月。

渡米してしばらくは6歳と2歳の孫を連れての海外暮らしは親子共々とても大変そうだった。私から見ると息子はイクメンだと思うけれど、それでも会社員だから、勤めに出ている間は彼女の肩にいろんなことがずっしりとのしかかっていたはずだ。だから息子の何倍も大変な思いをしながら暮らしていたのだと思う。

 

息子は渡米してからも時々SNSに投稿していた。私はその記事を読んだり、たまのメールで息子たち家族の暮らしぶりを知ることができた。(たぶん)少し落ち着いた頃、彼女からも何度かSNSに投稿があった。その記事には一番大変だったころのことが書いてあり、私はそれを読んではもらい泣きをしていた。何かしてあげたくても私は姑。そうでなくても黙って見守るしかないのだ。自分たちが選んだ道だから、自分たちで乗り越えていくしかないし。日本にいる時だって、どんなに手助けしてあげたくても「頼まれたこと以外は手出し口出しはしない」と決め、じっと見守っていただけだけれど。それに息子は依頼心は強くはないので、よっぽどのことでなければ親を頼ることはないのだけれど。

 

そんな息子から渡米前に家財道具と車をあずかって欲しいと頼まれた。はじめは荷物は全て船便で送り、車は売却するつもりだった。だけど、金銭面のことや帰国後のことを考えてのことだという。私は頼まれればよっぽどのことでない限り引き受けることにしている。だから「お安い御用だ」とばかりに引き受けた。本当は何でもしてあげたいぐらいなのだから。もちろん、しないけれど・・・

 

家財道具は空いている部屋に積み上げておくだけなので問題はない。だけど車は正直大変だった。私が車に乗れるのは月・水・木の夫がデイケアに行く日だけ。自分の車でさえ、点検に出すと「バッテリーがあがらないよう気をつけてくださいね」と、必ず言われるほどの走行距離しか乗っていないのだから。そこへもう一台。私一人で二台の管理をするにはそれなりの覚悟が必要だった。

 

車をあずかった当初は運転をすることなく、夫がデイケアから帰ってくる30分ぐらい前からエンジンをかけて いた。

だけど、運転をしないと充電効率はかなり悪いらしく、2か月半ぐらい経った時、ついにバッテリーがあがってしまった。その時はJAFに来てもらい充電。わずかな不足だけだったけれど、エンジンがかからないことには変わりがない。その後は1週間に1度は息子の車を使い、ほどほどの距離を運転するようにした。それ以降はバッテリーがあがってしまうことはなくなったけれど、息子たちの帰国を指折り数えては、車のことばかりを心配していた。そして、無駄にドライブしたりして。

 

6月の初め、彼女のお父さんが亡くなった。49日の法要を済ませた後、お母さんは今後の生活のことを考え、車を処分することに決めたそうだ。家計を節約するには車をなくすのが一番ということで。

それで、息子たちが帰国するまでの間、彼女のお母さんが車をあずかってくれることになった。息子も彼女も彼女のお母さんも、車の名義が私になっているのではじめは気にしたみたいだ。だけど、アメリカ在住の息子に今の段階で名義変更はできない。それで、私からも「あずかってもらえるとうれしい」と伝えた。すると「それなら・・・」と、あずかってもらえることになったのだ。

 

そして昨日、彼女のお母さんが車を持ちに来てくれた。

あずかってくれてありがとう。感謝感激あめあられ。これで私はお役御免で万々歳だ。