えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

ホントのことは言えず

子どもの頃、友人のお母さんや、母と同年代かそれ以上のご近所さんのことを「〇〇さんのおばさん」といういい方で呼んでいた。

大人になってからは普通に「〇〇さん」と苗字で呼ぶようになったけれど、結婚してから知り合ったにもかかわらず、Kさんのことだけは未だに「Kさんのおばさん」と呼んでいる。

 

KさんのおばさんことKさんは夫が小学校に上がる前からのご近所さん。ひょっとしたら生まれる前からかも知れないぐらい。とはいえ、我家と特別親しかったわけではなく、当時はご近所さんも少なく、今より近所付き合いが親密だっただけだと思う。それで、夫が「Kさんのおばさん」と呼んでいたので、私も自然にそう呼ぶようになったのだ。

 

結婚した当時、私がKさんのことを「おばさん」と呼ぶことをKさん自身も、Kさんの二人の娘さんもとても喜んでくれた。そして、私のことをとても可愛がってくれたと思っている。それで、今でも「Kさんのおばさん」と呼び続けているのかも知れない。

 

Kさんは多分90歳前後。若い頃は学校の先生をしていたそうで、聡明で明るく行動力がある方だとと思う。そして、お付き合いの幅も広いみたい。

それでか、お付き合いしている人たちからいろいろなものを頂くらしい。頂くといってもきちんとした商品ではなく、市場に出せない野菜とか果物、野山で取れるようなもの等など。以前はウズラの卵やアケビなども。

それがいただく量は半端ではなく、ものすごく沢山みたいだった。

Kさんは大正生まれの戦争経験者。食べ物を処分するなど考えられない世代だから「処分するなら」と、頂いていたようだ。

それで、頂き物があった時にはいつも「〇〇があるから貰いに来て・・・」と電話が入る。「〇〇があるけど欲しい?」とか「食べる?」というものではなく「持ちに来て・・・」と言う電話。

それで伺うと、我家にくれる量も結構な量でびっくりすることがある。だけど、せっかく言ってくれるのに「いらない」とは言えなくて、いつも頂いては兄弟や友人にお裾分けをしてきた。

 

最近になって知ったのだけど、Kさんが頂き物をお裾分けするのは隣に住む娘さんと我家。そして、ご近所のNさんとMさんに決めているみたい。たぶん、長年の付き合いで、気持ちよく貰ってくれる人に白羽の矢が立ったのだと思っている。

 

昨日、ご近所さんからギンナンを頂いたと書いた。

それはMさんがKさんから頂き、その時、我家の分もあずかってきたと持ってきてくれたのだった。

実は私、ギンナンは苦手な食べ物なのだ。おいしいと言われても、茶わん蒸しに入っていればそれだけは残してしまうぐらい。

だけど、頂いたことには変わりはない。直接頂いたわけではないのでお礼の電話を入れることにした。Kさんは独り暮らしなので、そんな電話でも喜んでくれることが分かっているから。

 

Kさんに電話すると、まずKさんはギンナンが大好きなことを話された後「今の人たちはギンナンを好まないのね」と言われた。

どうやら孫にもあげたところ「いらない」と言われたそうだ。「友人にもあげればいいでしょ」と言うと「みんな食べないから」と言われたという。そして「拾ったギンナンを食べるのはあなたたちの世代までみたいよ・・・」と言われてしまった。もう、Kさんの中では私もギンナンが大好きだと思っているのだ。

もちろん「私もギンナンが苦手だ」と言うつもりはなかった。だけど、ギンナンご飯の炊き方や炒って食べる方法、茶封筒に入れてレンジでチンすれば簡単に食べられるとか、その食べ方について話しているうちに「実は私も苦手・・・」と言わないことに、何だか罪の意識を感じ始めてしまった。

 だけど、やっぱり言えないし、言うつもりもない。

私は食べられないけれど、貰ってくれる友人はみつかった。だから、無駄にすることなく、おいしく食べてくれると思っているから。