えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

もしもの時より

阪神淡路大震災以降、防災意識が高まってきたと思う。そして東日本大震災が起こり、ますますその意識は高まった。

新聞でも、テレビでも定期的に特集を組んでいるだけでなく、公共機関からの呼びかけもある。

 

夫は建築関係の仕事をしていたこともあり、阪神淡路大震災後、関連本を買って勉強したり、自宅も家具の転倒防止を行った。

家自体は築50年の木造家屋なので、耐震工事をするとなったら大事で、半端なお金では補強することはできない。もちろん、大金をかけて補強するゆとりはないので家具の転倒防止までしかしていない。

私はというと、ペットボトルの水と多少の食料を置いてある程度。懐中電灯も枕元近くに置いてはあるけれど、防災用品をまとめてリュックに詰めたりはしていない。

 

夫が倒れたのは東日本大震災の前のこと。倒れてから母屋は家具を動かしたので、転倒防止も冷蔵庫だけ。多少の食料は置いてあるけれど、ペットボトルの水は離れに置いてある。これでは災害時の備えは間違いなく不十分だと分かっている。

 

それでも、もしも・・・

と考えると、私は不安だらけだ。

防災用品はそろえることができるけれど、車いすの夫と二人で避難することなどできないと思っている。それならそれで仕方がないとも思っている。

 

最近、災害時の障害者についても話題にのぼることが増えた。地域と関わりを持つことが必要だとも言われている。

 

金曜日、新聞の三河版にこんな記事が載った。

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記事は、豊橋市の障害者福祉会館「さくらピア」を運営する「豊橋障害者(児)団体連合協議会」が、総務省消防庁主催の地域の優れた防災活動などに贈られる「防災まちづくり大賞」で最優秀の総務大臣賞に選ばれたというもの。

記事によると、2009年から毎年9月に障害者や地域住民らを対象に避難所体験を行っている。体育館での宿泊や夜の避難訓練、講演会などを通して障害者自身が防災意識を高めているという。

昨年の宿泊体験には40人余りが参加。体育館にシートを敷いて避難所を設営し、車いす利用者には寝起きが楽になるよう段ボールベッドを設置。そして、朝食には非常食を手分けして調理。試食を通してレトルト食品についているプラスチック製スプーンがうまく使えるかも確かめたとのこと。

あとは参加した障害者の感想や選定委員会の評価が載っていた。

そして「3・11を忘れない 障害者の防災を考える集い」を開き、受賞報告をするそうだ。

 

素晴らしいことだと思う。そして、何でも訓練を続けることは大事だと思う。

地域の防災訓練、職場の訓練。それで、いざという時に落着いて行動できたという事例もある。

でも、でも、きっと、私たちは避難することなどできないと思う。多分・・・

もしもの時のことを今は想像することさえもしたくない。

地域との関わりが必要と言われても、今はそこで悩んでいるところだから。

町内会の組の人たちはみんな親切な人ばかりだけれど、4年後に回ってくる組長のことを考えると、組から抜けさせてもらいたいと真剣に考えてしまうのだ。

町内会に加入している以上、当然のこと役割も付いて回る。回覧を回したり、広報を配ったり、集金したり、530運動に参加することはできるけれど、それ以外のことは今の私には難しいから。

だから、もしもの時を考えるより、町内会から離れてひっそりと暮らしていたいと思ってしまうのだ。