えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

中学卒業の日

昨日は中学校の卒業式だった。

私が中学校を卒業したのはもう半世紀近く前のことになる。

 

当時、恒例だったのか誰かが言い出したのか覚えがないけれど、女子の間では友人や先生方に「なにか一言書いて・・・」と、サイン帳を持って廻るようなことをしていた。

私も誰かに誘われたのだと思うけれど、何人かのクラスメートや部活の友人と書きっこをしたり、担任の先生や部活の顧問、校長先生にまで書いていただいた。

校長室に行くなんて3年間で初めてのことだったけれど、校長先生は慣れたものですらすらと書いてくださった。

その言葉は

あかるく

きよく

正しく

生きよう

という言葉。心に刻み込んだ。

 

部活顧問の女先生はとってもきれいな字で石川啄木の歌を書いてくださった。

こころよく

我に働く仕事あれ

それをしとげて

死なむと思う

その後、職業を考えるようになった時、私はいつもこの歌を思い出しているのだ。

 

そして、担任のM先生はこんな言葉だった。 

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え~。私、オカメ・・・

でも、愛情あふれる言葉なのでしょう。

 

ここからちょっと、花梨さんのかなり前の記事「怪談が後悔に変る時」にトラバ。

花梨さん、断りもなく勝手にトラバすることをお許しください。

http://karin.hateblo.jp/entry/2013/10/03/134307

 

花梨さんが高校時代に憧れ、お付き合いをした彼はおかめのお面が怖かったとか。おかめのお面が怖いなんて、なんてかわいいんでしょう。

 

先に書いたように、私はおかめ。そう、おかめなのです。

夫と結婚した時、M先生が書いてくれたサイン帳を見せたことがある。

しばらくしてから、夫は隣の市にお面を作る人がいると聞き、友人と出かけて行った。

そして、そこで私のためにおかめのお面を買ってきたのだ。それは真っ白い紙で作ったおかめのお面だった。

そのお面に髪の毛と、目、口に色を塗り、口元と眉間には私の顔と同じようにほくろまで描いた。そして、柱にとりつけた。

それがこれ。

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たぶん34年か35年ぐらい前から掛けてあるので薄汚れている。

これ、わたしなのです。

 

子どもたちが小さい時には「母さんがここにいなくても、そこでちゃんと見ているからね・・・」なんて、お面を指さし、いたずらしないように脅しをかけていた。

花梨さんの彼が見たお面は、寝かされた広い仏間に掛けてあり、お面の額の部分が裂け、そこから血が流れていた(そのように見えた)そうだ。

私のお面は居間に掛けてあるし、顔は笑っているように夫が描いたつもり。

だけど「ひょっとしたら子どもたちもこのお面、怖かったかも・・・」なんて、花梨さんの記事を読んで思ってしまった。確認してないので実のところは分からないけれど・・・

私も思い起こせば子どもの頃、お面は怖かったような気がするし、男の子の方がひょっとしたらもっと怖がりかもしれないとも思う。

でも、おかめはわたし。

だから外せないし、怖がってはダメなのだ。私が死ぬ時まではそのまんまにしておくつもりだから。

 

卒業式からサイン帳のことを思い出し、おかめのお面を改めて見てしまった。

半世紀も前のサイン帳、まだ手元にあるなんて、なんて物持ちがいいのでしょう。

 

これはおまけ。

小学校も高校も一緒だったまりちゃんが書いてくれたもの。

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たぶん、東京オリンピックがあったのでこの絵を描いてくれたのだと思う。

中学を卒業するころの私たちは若くて元気で、すごく勇ましかったのだ。