えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

祖母の認知症のこと

昨日、認知症による徘徊で行方不明になり、施設で保護されていた方のことを書いた。

昨日はヤフーニュースで読んでのことだったのだけど、今日はそのことが新聞に半面の記事として載っていた。

で、今日も認知症のことを。

  

実は私の祖母も徘徊することはなかったけれど、認知症だった。まだ、認知症という言葉はなく、痴呆と言われていた時代のことだ。

症状が出始めたのは祖父が亡くなってからのことで、たぶん70代だったと思う。

見た目には普通の人と何ら変わりはなく、話をしていても近所の人は祖母が認知症だとは気付かなかったかもしれない。

まだ認知症自体がそれほど知られていなかったと言うこともあるだろうが。

 

まずは物忘れが始まり、よく「財布がなくなった」と言うようになった。そして「家族が盗んだ」と近所にふれ回った。

家族が一緒に探すと、押し入れの布団のあいだから出てくることが度々だった。

そして、母が亡くなった頃から「家族に追い出される」と言いはじめた。

母は子どもに恵まれなかった叔父夫婦の養女になり、父がそこに養子に入った。祖母にしてみれば、自分の夫も養女も先に亡くなり、意地悪した婿と孫だけになったので心配が高じたのだろうが、明らかに妄想だった。もちろん、父も私たち孫も祖母に意地悪などしたことはない。

 

ある日、祖母がかかり付けにしていた開業医から父に話があると電話があった。

父は難聴で補聴器を使用していた。それでも細かいことが聞き取れないことがあるので、私が同行することになった。

医師は祖母の受診理由を「家族が風呂に毒を入れているみたいで身体が痒い」と告げたあと「これは痴呆の症状ですが、外で誰彼かまわず言っているのでお耳に入れておきます」と言った。

そして「これは痴呆の症状だと理解し、気にしないようにしてください」とも言われた。

だけど、祖母からそんなことを聞けば、知らない人たちは父や私たちのことを酷い人間だと思うだろう。まだ若かった私は腹が立って仕方がなかったけれど、それでも「病気だ」と思い、黙って我慢していた。

 

それでも症状は徐々に進んだ。

亡くなるどのぐらい前だろうか、祖母はイレウスで入院し、緊急手術を受けた。

そして、歩行できるようになると大部屋に移動した。

私が見舞いに行くと、また個室に逆戻りしており、おでこには絆創膏が貼ってあった。

看護師の説明によると、祖母が同室者にみかんを盗まれたと言ったことから、同室者とケンカになり、殴られたということだった。

そして私には「えむこさん、私が着ていた洋服を盗まれてしまった」と、言うのだ。

私が持ち帰ったことを説明しても5分としないうちにまた同じことを繰り返して言う。

面会中に5回や10回ではなく、何十回と同じことを繰り返し言っていた。

 

私が看護師として勤務していた時も同じような患者さんが何人もいた。時計を盗まれたとか、入れ歯を盗まれたとか。

ま、患者さんのことはまたの機会に書くとして、新聞によると、65歳以上の高齢者のうち認知症の人は2012年時点で462万人と推定されている。高齢者の7人に1人だという。

さらに予備軍である「経度認知障害」は400万人とみられ、合計すると800万人をゆうに超えるそうだ。

 徘徊してしまう認知症の家族も大変だけど、たくさんの家族がこうした妄想や他の症状を抱え大変な思いをしているのだろうと想像する。

 

今日、Eテレで「お一人さまの自分介護 要介護でも自宅で」という、ハートネットTVという番組を見た。

番組では認知症でもデイサービスや介護保険を使いながら一人で暮らしている人も紹介していた。

その方は介護保険を使い平日はデイサービスを利用し、日曜日は近くの娘さんと過ごしているそうだ。家のガスは止め、夕食は勤めから帰宅した娘さんがもってきたお弁当を食べているという。

近くに支援者がいて、いい施設に恵まれ、介護保険をうまく使えば、認知症でも一人暮らしが可能だということだろうか。徘徊などの症状がないことも条件の一つだろうが・・・