えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

あっという間に1月が過ぎ

あっという間に1月が終わり、今日からはもう2月だ。

「何をしたというわけでもないのに、月日の流れはなんと早いのだろう・・・」と、朝、各部屋のカレンダーをめくりながら、1月のさまざまなことを思い出していた。

 

今年のお正月は子どもたちは帰省しなかった。

私の兄夫婦や夫の兄弟家族は年始の挨拶に来てくれたけれど、みんなすぐに帰ってしまったし、テレビをつけるわけでもない年寄り2人の生活はいつもと何ら変わりがない静かなものだった。

 

5日から夫はデイケアが始まり、私は友人からランチの誘いがあったので出かけた。次のデイケアの日にはアメリカに小包を送るために奔走 し、疲れ切ってしまった。

 

成人の日には豊川稲荷に出かけ、14日の父の命日には墓参りに行けないからと、同じ日に墓参りにも出かけた。

その日の夕方から夫が風邪をひき、私も数日後から酷い咳に悩まされた。夫婦そろって4年ぶりにひいた風邪は年齢のせいなのかなかなか回復せず、夫はよくなったけれど、私の方はいまだにすっきりとしていない。

 

15日にはアメリカに転勤になった息子の車を車検のためいとこの会社まで持って行った。帰りは送ってくれるといういとこの好意を断り、雨が降る中20分ぐらいかけて家まで歩いて帰ってきた。車検は当日に終わるのだけれど、私は月・木しか動きが取れない。だから19日まで車は預かってもらうことにし、19日の日にまた歩いて持ちに行った。

 

22日の夕食時に夫の銀歯がとれてしまい、22・23日と歯医者探しをし、老人病院の歯科で30日に予約を入れてもらった。

25日には夫が昼寝中にお寺まで出かけた。報恩講があったのだけれど、私は「志」を届けるだけ。

そして、26日は今日行われた愛知県知事選挙の不在者投票のため市役所へ行った。

 

歯科の予約を入れた30日は金曜日。午後からは訪問リハビリの日だ。

その日は朝から雨が降っていた。私は予約を伸ばしてもらおうと思ったのだけれど、夫は受診したいと言うので、冷たい雨が降る中、合羽を着て完全防備で病院に向かった。医師からは抜歯してブリッジか部分入れ歯にするレベルの歯だけれど、とれてしまった銀歯をとりあえず接着し様子を見てもいいと言われたので、そうしてもらった。歯垢もかなり付いているようなのできれいにしてもらうため、しばらく通院することにした。

家に戻ると12時過ぎ。1時から訪問リハビリなので大慌てで昼の支度をして食べた。

リハビリが終わると二人ともくたくたに疲れ、夫はすぐにお昼寝に入った。私も炬燵でごろごろしたかったけれど、実はその日は結婚記念日でもあったのだ。それで、ちょっと横着をしようとスーパーまでお寿司を買いに出ることにした。ほんとはおいしいものでも食べに行きたいところだけれど、スーパーのお寿司でも今の我家にとっては贅沢なのだ。

急いで買物をすれば30分もあれば行ってくることができる。なので、帰ってきてからでも炬燵でだらだらする時間は十分あった。

そうそう、リハビリが終わるころ、友人が手編みのマフラーを持ってきてくれたのだった。この間、私が差し上げた毛糸を使い、すてきに編んでくれたのだ。

そういえば、今月はいつだったか忘れてしまったけれど、夫の友人と先輩も夫の顔を見に来てくれたのだった。

 

1月に読んだ本はたったの1冊。しかも昨年から2か月もかかっての1冊だ。

テレビもリアルタイムではほとんど見ていない。夫が昼寝している時や夜寝てからは録画しておいた番組を見ることはあるけれど。

このところ耳も目も覆いたくなるようなニュースも新聞とネットで。

同じ地球に暮らしているとは思えないような残虐なニュースに胸を痛め、憤り、悲しみ、ネットで読んだ「・・・さらなる日本人の殺(さつ)戮(りく)を引き起こすことになる」という脅し文句にはこれからどうなっていくのかと戦慄さえ覚える。だけど、私には何のなす術もないのだ。

 

社会と関わることもなく、あとは毎日夫の介護で1日が終わった。

それでもあっという間の1月だった。

こうして1か月が過ぎ、1年が過ぎ、そして一生が終わるのだろう。まあ、今の私に課せられたものは夫の介護なのだから、それを一生懸命やるしかないのだ。

今の生活がいつまで続くのか分からないけれど、続けられるうちは、と言うか「今の生活が少しでも長く続けられるように頑張るしかない」と、思うようにしているのだ。