えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

昨日は孫の誕生日と父の命日だった

昨日は上の孫の誕生日で、私の父の命日でもあった。

孫には正月にお年玉と一緒に誕生祝を渡し、喜んでくれるかどうかはわからないけれど、期日指定郵便で昨日届くようにバースデイカードを送った。じじばばのできること、というかやっていいことはこのぐらいのこと。あとはたくましく健やかに育ってほしいと遠くから願っているぐらいだ。

 

父の方は命日が近づくにつれいろんなことを思い出していた。墓参りは先週の木曜日に行きたかったけれど代車だったのでやめ、修理が済んでから出かけようと思っていた。車の修理に取り掛かれるのが工場が始まる5日。それから2週間ぐらいはかかると聞いていたのでお墓参りは1月22日ごろを予定していた。だけど、思ったより早く修理がすみ、先週の金曜日に届けてくれたので今日お墓参りに行くことができた。

 

お墓参りではお線香をあげながら心の中で家族の近況を伝え、感謝して手を合わせるのだけれど、今日はお願い事をひとつ。長男が今日ヘルニアの手術を受けることを伝え、その無事をお願いした。

 

昨日、図書館で借りた本を読み終えた。

この嘘がばれないうちに

以前は読みたいと思えば即買っていたけれど、最近は小説やエッセイは図書館で借りるようにしている。出たばかりの本はかなり待つことになるのが難なのだけれど。

この本はちょうど半年待ってやっと私の番が来た。そして一気に読んで、読み終えたのが父の命日だった。

  

半年前にこちらの本を読み、それで上の本も読みたくなったのだ。上の本はこの本の続編のようなものだから。 

コーヒーが冷めないうちに

過去に戻ることができる(未来へも行ける)という喫茶店での話し。

そこにはいくつかのルールがある。

過去に戻ってもその喫茶店を訪れたことのない者には会うことができない。過去に戻ってどんな努力をしても現実を変えることができない。過去に戻れる席は決まっていて、その席には先客が座っている。そこに座れるのは、その先客がトイレに行くために席を離れた時だけ。・・・・・・・過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでから、コーヒーが冷めきるまでの間だけ。・・・・・・ 

 どんな人が過去に戻ったのか、過去に戻ってどうしたいのか、どうなったかは読んでのお楽しみだけれど、現実にそんな喫茶店があったのならば私も過去に戻ってみたい。過去に戻り、父に、母に、弟に会いたい、会って話がしたい。そう思ったら、昨日は1日中過去の父に、母に、弟に会い、妄想の世界で話していた。そして、今日はお墓で父とまた話をした。

早すぎる別れ

数日前から蝋梅が咲き始めた。

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洗濯物を干しに近づくと、かすかに甘い香りがする。

黄色のこの花が咲き始めると、まだ寒に入ったばかりなのに春がやってきたような気がして何だ嬉しくなってくる。

 

夫が倒れた7年前、次男の上司の方が「お父さんに」と、起き上がりこぼしのだるまさんを下さった。 

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その方は独身で、おかあさまと2人暮らし。会社では次男のことをとてもかわいがってくださっていたと思う。当時、その方は糖尿病性腎症で透析を導入する寸前の状態だったと聞いていた。ご自身も大変な状態なのにわざわざ仲見世商店街まで買いに行ってくれたそうだ。

しばらくすると透析が開始され、役職をおりて勤務しながら治療を続けられた。

そしてこの間、次男から電話があった時にその方が1月2日に亡くなられた聞いた。90歳になろうとするぐらいのおかあさまを残して。まだ定年前だと思うのでたぶん50歳代だと思う。私よりずっと若い。あまりにも早すぎる別れだ。

 

年末に義姉がゆりの花を持って来てくれた。

暖房がつくことがない部屋に入れておいたので昨日やっと咲き始めた。 

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写真が悪いけれど、真っ白ときれいなピンク色のゆり。このぐらいの時が一番きれいだ。

あと何日かするとこのゆりも満開になり、散っていく。人間もいつかは必ず。

お葬式が営まれた日、東の方に向かい一度もお会いしたことも話したこともない方とそのおかあさまのことを思い一礼した。

いつもの日常に戻りました

12月30日の午前中に長男家族が、翌31日に次男が帰省し、何年か振りに皆が揃ってお正月を迎えた。

私は夫のことの他に大人5人、子ども2人分の食事の準備と山盛りの後片づけ、お風呂の準備、いつもよりたくさんの洗濯、孫の相手などなど、目が回るほど忙しかった。まあ、うれしいというか、楽しいというか、そんな忙しさだったのだけれど。

そして、2日の夕方に次男が、3日の朝のうちに長男家族が帰って行った。

 

子どもたちが帰ると今度は片付けが待っている。

先ずは母屋の片付けから。次男が使用した布団を干し、離れから持ってきた子どもたちのおもちゃや食器類を離れに戻し、掃除機をかけ、フローリングのところはモップをかけ、家じゅうを夕方までかけて元の状態に戻した。

元の状態に戻した我家は落ち着き、ホッとしたのだけれど、同時に静かすぎて、何だか寂しく、人がいなくなった部屋は空気までが冷たく感じられた。それでも子どもたちが「かあさん、ありがとうね」と喜んで帰って行った姿を思い出せば夫と二人して温かな気持ちが蘇り、疲れも飛んでいった。

 

夫のデイケアは昨日、4日から始まった。

29日からずっと自分の時間がなかっただけに「やっと一人になれた」と、夫には悪いけれどすごくうれしかった。

それでも、やることはいっぱい。長男たちが使った敷布団だけを干し、どこかに飛んで行きたい気持ちはあるけれど、代車で行く気にはなれず、歩いて氏神さまへ初詣。

 

帰宅すると、帰省中の甥夫婦と1歳になったばかりの息子たちと一緒に我家へ来てくれると兄から電話があった。

うれしいね。東京から我が家のためにお土産持って来てくれた。 

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若い子のセンスはいいね。

開けるとこんな感じ。

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中身は5種類が2~3個づつ。もう半分ぐらい食べてしまった。

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自分では買うことがないお菓子。味わっていただきました。おいしかったです。ごちそうさまでした。

 

私のお正月はこれでおしまい。

まだ片づけは残っているけれど、いつもの日常に戻りました。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

今年も笑顔いっぱい、楽しいこといっぱい、幸せいっぱいの年でありますように。

本年もよろしくお願いいたします。

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来年もよろしくおねがいします

昨日書いておきたかった事は朝日新聞の月曜朝刊の「歌壇・俳壇」に載っていた投稿作品のこと。以前も書いたことがあるけれど、私は月曜日のそのページを毎週楽しみにしている。

楽しみにしていると言っても俳句や短歌は中学や高校で習った程度の知識しかない。だけど、俳句はたった17文字なのに情景や音までがはっきり浮かんできて本当に感心してしまう。短歌の方は小説やエッセイとは違うけれど、31文字の中にその人の思いや人生までが垣間見え、共感したり、温かい気持ちになったり、時にはその反対のこともあるけれど、どんな方が読まれたのだろうかと想像しながら読んでいる。そして、最近は介護の歌を読むといつも共感している。

 

で、この間の月曜日、高野公彦選の中に東京都の女性が詠んだこんな歌があった。

ごくたまに心の中に忍び寄る鬼には負けず十年介護

 どなたの介護をしてみえるのかしら・・・

ご主人かしら? それともご自身かご主人の親御さんかしら? この歌なら子どもさんではなさそうな気がするけれど。 

介護生活10年か・・・ 私は7年。

忍び寄る鬼がどんな鬼なのかは人それぞれかもしれないけれど、私の心の中にはしょっちゅう鬼が忍び寄ってきます。いいじゃないですか。

この間読んだ曽野綾子さんの「夫の後始末」という本の中に介護はいい加減なぐらいがちょうどいいみたいなことが書いてありました。私はいつだっていい加減です。

でも、心の中に鬼が忍び込んでくるとあとで自己嫌悪になって、ちょっと辛いですよね。

来年はもう少しやさしくしようなんて思ってもきっと無理。いい加減で、元気だった頃と変わらず、言いたい放題だと思う。心の中にはいつも鬼を飼いながらそれでも仲良く頑張るつもり。

 

明日は長男家族が帰省予定。これで年が明けるまでPCも開けないかもしれません。

皆さま今年はいろいろありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

そして、良いお年をお迎えください。

怪我がなくてよかった

夫のデイケアは今日が今年の最終日だった。

昨日は長男家族が気持ちよく泊まれるようにと離れの1階を掃除した。

今日は次男がいつでも帰省できるようにと離れの2階を大掃除する予定だった。

その前にお墓参りだけは行っておきたかったし、生もの以外は買い物を済ませておきたかった。

 

お墓参りを済ませ、スーパーに行く途中、赤信号で信号待ちしていた。その時、反対車線側の角地のお宅から車がバックで出てきて私の車にぶつかった。

片道1車線の道路とはいえ縁石で区切られた歩道がある道路なのでそんなに狭い道路ではない。普通だったら家の側の車線からはみ出さずに出られる幅がある。それがあっという間に反対側の車線で信号待ちしている私の車にぶつかった。で、私の車のヘッドライト回りが酷くへこんだ。割れるほどの所もあったぐらいだ。いくら信号待ちで止まっていたので100:0で相手方の過失だとしてもぶつかった当初はドキドキして震えてしまった。私以上に相手の方もそんな感じだった。

相手の方が警察に電話して、保険会社の方にも電話して、警察が来てくれるのを待ち事情を聞かれ・・・

私の車は福祉車両。代車に福祉車両を探してもらって、修理に出して・・・

2時間ぐらいかかった。

年末だということもあり、修理は新しい年になってから。しかも2週間ぐらいはかかるとのこと。代車も福祉車両は明日になれば1台何とか確保できるけれど、その車種以外は年始にならないと確保できないと。

まあ、怪我がなくて良かったと思うしかない。

 

ブログも書きたいことがあって、半分ぐらい書いて下書き保存してあったのだけれど、そのことを今日は書けなかった。2階の掃除もできなかったし、買い物にも行けなかった。それでも、怪我がなくて良かったと思うことにする。

電車に乗って名古屋まで行ってきた

月曜日、提出期限がある書類を出すため名古屋まで出かけた。

そのことを知ったのは今月の20日のこと。期限までは3か月あるし、郵送でも大丈夫なのだけれど、すぐにやらないと期限などあっという間に来てしまう。それに、新しい年まで持ち越したくない内容だったので、どうしても年内に片付けてしまいたかったのだ。

で、翌21日に提出書類をダウンロードし、戸籍謄本など必要書類を豊橋市役所へもらいに行き、あとは名古屋の区役所で謄本をもらい、その足で丸の内にある官公庁に提出すればいいように準備しておいた。

 

夫が倒れてから大好きだった電車に一人で乗る機会はなくなった。実際には兄に頼まれた用事で1回だけ浜松まで行ったことがあるけれど。

頭の中では何度も何度も電車に乗った。東は掛川まで、西は名古屋までと。だけど、何らかの事情で電車が止まった時のことを考えると現実には心配で乗られないでいる。

だから、名古屋までなら用足しにかかる時間を考えても十分に行けるだろうと思っていた。うまくいけば2時間近くは名古屋の街を楽しむこともできそうだと。

 

豊橋、名古屋間は新幹線の往復切符を利用。たまたま今、プラス80円の料金で「タワーズパック」という高島屋の商品券1000円分が組み合わされた期間限定の往復切符を発売中なのでそれを利用して出かけることにした。

 

夫をデイケアに送り出し、車で豊橋駅まで行き、駅横の駐車場に車を止めた。そして、9時45分発のこだまに乗車。次の9時58分のひかりでも到着時間は2分しか違わないのだけれど、1分でも早く着きたかったのでこだまに乗ることにした。

 

10時15分、名古屋着。名古屋駅のホームにはホームドアが設置されていて時の流れを感じた。もう10年近く名古屋駅に降り立っていないのだから当然のことなんだろう。

 

駅から周りの景色を見るゆとりもなく、急ぎ足で地下鉄東山線乗り場へ。迷うことなく、すんなりと区役所には着けたのだけれど、ここでも、降車駅の栄でもホームドアが設置されていて、またも時代の流れを感じた。

 

区役所で必要な書類をもらい、今度は地下鉄名城線で市役所まで。そこから10分ほど歩き、書類を提出先のビルへ。その時すでに11時30分過ぎ。

 

受付を済ませ、書類を提出すると、何ともう1通、新城市でしかもらえない書類が必要なことが分かりびっくり。と同時にその日にうちに準備できるだろうかと焦った。とりあえずは受付はしてもらえたので期日の心配はなくなったけれど。あとは不足分の書類を郵送するだけだ。

 

時間を見ると12時前。すぐに戻ればその日のうちに新城市役所まで行き、書類をもらい、郵送できそうだった。なので名古屋での街歩きはやめ、とんぼ返りすることにした。と言っても、高島屋の商品券を無駄にするわけにはいかず、地下の食料品売り場に直行。夕食のおかずにと串揚げを、新幹線の中で昼食にしようといなりずしを買い、乗り場に急いだ。

 

帰りの新幹線は14時29分のこだまに乗る予定だった。それが無理なら14時59分のこだま。最悪15時29分のこだままでなら何とか夫の帰宅までには間に合うと思っていた。でも、結局は12時59分のこだまに乗った。

 

豊橋に着いたのは13時30分。急いで駐車場に向かい、そこから新城市役所に向かった。

新城市役所までは約1時間。書類をもらい、帰路途中の郵便局からその書類を郵送し、これで手続きは完了した。あとは書類を受理したという証明書が送られてくるのを待つだけになった。そして無事に夫の帰宅時間に間に合った。

 

と、まあこんな1日だったのだけれど・・・

地下鉄のきっぷを買おうとした時のこと。ICカードへチャージする機械はあれど、券売機がない(見つけられなかっただけ)。窓口に行くと、休憩中だから用事がある人はインターホンを押すように書いてあった。仕方なくインターホンを押し、事情を話すと、券売機は奥の方にあるという返事。きょろきょろ探してみても見当たらず、どうしようかと思っていると駅員さんが出てきて教えてくれた。探しても見つからないはずだ。私にはICカードチャージ機としか見えていなかった4台のうち後方の2台が券売機を兼ねていたのだ。

 

私がまだ20代の初めのころ、切符は窓口で購入するもので券売機などなかった。そして、ホームに入るときは駅員さんが切符に鋏を入れていた。そんな時代だった。それが知らぬ間に券売機はどんどん増え、しかも進化していった。

そんな時代から「切符は券売機で買うもの」になると、券売機の前で戸惑っているお年寄りをよく見かけるようになった。当時、まだ若かった私は「何が分からないのだろう」と思ったものだけれど、まさに今の私の姿そのものだったのだと思う。

殆ど電車で出かけることがない私はICカードなるものを使ったことも、持ったこともない。ICカードをかざし、ピッ、ピッと音をたて、颯爽とホームに入っていく若者がとてもかっこよく見えた。同時に自分が社会から取り残されてしまったようで、何だか寂しくもあった。