えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

次男の帰省

「正月には帰るつもり」と言っていた次男は三が日のうちには帰ってこなかった。「楽しく暮らしているのなら親としては何も言うことはない」と思いながらも、迷った挙句、3日の夜に「おめでとうメール」を送った。押しつけがましいとは思ったけれど、お父さんもお母さんもお兄ちゃんたちもみんな待っていたこと。楽しく暮らしているならいいけれど、お節も(次男が好きな)数の子も、ナスも準備していたこと。体に気を付けるように・・・など等書いて。

すると、「連絡なしはいけないよね。今年は7日に帰省します」と、すぐに返信メールが届いた。

 

7日の日。待てど暮らせど、夕方になっても一向に帰省する様子がない。またも迷ったけれど、今度は電話をしてみた。すると「今、東京駅。今から帰るから9時ごろになると思うよ」と。まあ、これは毎度のことなのだ。

 

夫の就寝時間は9時。「もっと早く帰ってくれば一緒に夕食を食べながらゆっくり話もできるのに・・・」と思うけれど、これは親の側の都合。帰省して顔を見せてくれるだけでもうれしいことだと思い直す。

 

夫は二男が帰宅するまで待ち、顔を見てからベッドに入った。私は二男が風呂に入っている間に夕食の準備。と言っても時間が時間なので、準備しておいたお刺身や鳥チャーシュー、それに少しばかりの野菜を並べて置いた。そして、しばらくはおしゃべりに付き合ってもらった。

 

翌日は、先輩に寒中見舞いのはがきを出したいからと、庭から水仙を切ってきて、夫の前で絵手紙を描いたりしながら一日のんびり過ごし、夕食時には一緒にビールを飲み、年寄り夫婦を楽しませてくれた。そして、9日の昼過ぎに帰って行った。

  

今、下重暁子さんの「家族という病」を読んでいて、あと少しで読み終わるところだ。私は親との確執もなく、子どもたちとも多分なかったと思っている。それでかどうかは分からないけれど、人間は個という考えには共感できるけれど、家族を全く突き放して個だと言い切ることは私にはできない。もちろん、まさにその通り、と納得しながら読むことも多い。だけど、それの何が問題か・・・と感じる部分もある。いろんな考えの人がいて、家族もいろんなカタチがあっていいと思う。幸せは自分の心が決めるものだから。

ちょうど次男が帰省していたせいか「我家の家族のカタチ」はこれでいい。そんな風に思いながら次男を見送った。