えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

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今年はどんな年になるのでしょうね。

いちおう抱負はあるのですが、まだ胸の内にしまったままです。

 

皆さまにとっても、私自身にとっても幸多い年になりますように。

そして、笑って暮らせる日が続きますようにと願っています。

 

本年もよろしくお願いいたします。

                      えむこ

うれしい悲鳴をあげている

あれよあれよという間に1年が終わろうとしている。月日が流れるのは本当に早い。

今年は長男家族が28日の夕方帰省し、毎日うれしい悲鳴をあげている。

帰省する前から掃除に明け暮れていたので疲れが取れないでいるけれど、うれしさと天秤にかければ当然どんなに疲れてもうれしさの方が勝るに決まっている。

2日の朝には帰ってしまう予定なので、それまではしっかり楽しませてもらおうと思っている。帰ってしまうとさみしさの方が勝ると思うと喜んでばかりはいられないけれど。

 

このところあまりの忙しさに走り回っていたらいつの間にか蝋梅が咲いていた。 

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いい香りが漂っている。

息子の帰国を喜ぶ

2年前、長男は家族を連れてアメリカに赴任した。任期は2年で延長はないと言っていたけれど、結局は2か月延長になり、今日やっと帰国した。

家族は一足早く2年で帰国し、2か月間は別々で生活していた。これでやっと家族そろって生活できるようになったと安心した。

 

本人は「2年2か月の間とても充実した生活が送れた」と言っているけれど、家族はそれなりに大変だったと思っている。彼女は英会話がそれなりにできるので良しとしても、A・B・Cも分からない状態で渡米した子どもたちのストレスは計り知れないものがあったと想像する。子どもというものがいくら順応性があるとはいえ、あちらで小学校に入学したり、保育園に入ったり、日本語が通じない環境へ一気に放り込まれた孫たちは始め小さな胸にため込んだストレスをどうしようもなく、親をも巻き込んで涙、涙の日々だったようだ。それでも半年を過ぎた頃から徐々に慣れたようで、何とか頑張り通すことができた。親としてもババとしても元気で無事に帰国できたことを何より喜んでいる。

 

あと何日かすると、息子たち家族が帰省する。いつもはせいぜい1泊か2泊で帰っていくけれど、今回は5泊するという。帰省したら彼女や孫たちに目いっぱいごちそうをし、褒めてあげたいと思っている。頑張った結果はきっとついてくるはずだから。

お別れ

人の世は無情なもので、自分の体が思うようにならなくなったからといって

いくら迎えが来てほしいと願っても簡単に逝くことはできない。そうかと思えば、さっきまで元気だった人があっという間に逝ってしまうことがある。

 

2週間ほど前、一人暮らしの男性が自宅で亡くなっているのを発見された。いわゆるヒートショックだったようだ。アパートに住む彼の部屋から階下に水漏れし、それで発見された。当然、警察が介入し、検死後遺体は警察に安置された。

警察が身元を調べ、子どもに連絡をしようと他人になった人に電話をした。だけど、他人になった人はそれを拒み、代わりに彼の身内の電話番号を教えた。

 

彼の身内は警察から事情を聞いても子どもがいる彼を引き取る義務はない。

他人になった人は妻子から彼を奪い、2人の子をもうけ、子どもが大きくなったらぽいと捨てた。それでも、彼は子どもたちが18歳過ぎても大学を卒業するまでは学費などを支払っていた。そして、彼が身内のところに行けない気持ちにさせておきながら、最後の仕打ちはこれか。そう思うと理不尽だと思う。もちろん、それは身内の気持ちであって、相手には相手の言い分があることは分かっている。(夫婦のことは身内であっても口出ししてはいけないし、片方だけが悪いということは絶対にないと承知の上)それでも、身内にとってはいくらいろんなことがあったとしても、喧嘩をしたわけでも嫌いになったわけでもなく、心の内では大事な人には違いはない。なので、かわいそうだと引き取った。そして、たった4人で彼を見送った。

 

その日は朝からしとしとと寂しい雨が降っていた。「きっとなみだ雨だ・・・」と思っていると、そのうち夜中になり、今度は雷を交えた激しい雨に変わり、いつまでも降り続いた。まるで彼が慟哭しているかのように。

まあ、そう思うのは見送った身内だけで、逝ってしまった彼は長患いすることもなく、これで良かったと思っているかもしれないけれど。

ふれあい音楽会⑮

水曜日は今年度最後のふれあい音楽会だった。

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前売り参加券は限定160枚。何度か書いたけれど、飲み物・お菓子付きで400円だ。

当日の参加も可能だけれど、当日券にはお菓子はつかず、飲み物だけになる。でも、参加したい人は全員、絶対に拒むことなく入れてくれるそうだ。

今回は最後だということもあるのか、それとも演奏者の人数が多く、関係者も来ているのかわからないけれど、すべての椅子を出してもおさまらず、脇のベンチまで人でいっぱいになるほどの盛況ぶりだった。

 

今回はプログラムにあるように「音いっぱいコンサート」

~さあ クリスマスがやってくる!~ というサブタイトルで ★グループ音紡ぎ★の11名のメンバーによる音楽会だった。

プログラムによると、グループ音紡ぎはもう16年もの間活動しているという。市民病院でのアトリウムコンサートや学校、介護施設での演奏活動をはじめ、文化会館でのコンサートも行っている。

 

今回はピアノ(3名)、バイオリン、サックス、チェロ、フルート(ピッコロも)、オーボエマリンバ、ソプラノ、アルトの総勢11名での演奏会だ。すべてを11名が演奏するわけではなく、ピアノの独奏あり、ピアノとフルート、ソプラノの独唱・・・など等、曲目に合わせ様々な組み合わせでの演奏だった。

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ショパン幻想即興曲はピアノの独奏。まるでドラマのクライマックスシーンのようにドキドキしながら演奏に引き込まれ、ものすごく感動した。

最後の曲、クリスマスフェスティバルは全員での演奏。オーケストラほどの人数はいなくても、ボランティアの方々も脇から鈴で参加。大人数での演奏は体全体に音が響き渡り、何だか涙が零れそうになった。

 

ふれあい音楽会を聴きに行った後は毎回、毎回「良かったね」とか「素晴らしかった!!」と言い続けていたけれど、今回も本当に楽しくて素晴らしい音楽会だった。

これで来年の4月まで音楽会がないと思うと何だか寂しいような気がする。

ただそれだけで

公園のさくらはほとんど葉っぱを落とし冬木立。

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さくらに限らず冬木立の景色はとてもすてきだと思う。そこに夕日が当たるとまるで影絵の世界に誘われるような気がして大好きだ。

 

毎日のようにメール交換をしている看護学校時代の友人Mちゃんに病気が見つかったのが2か月前のこと。腹部の違和感、腹痛、そして黄疸が出て検査入院。いったん退院し、その後治療のために再入院。主治医も本人もすい臓がんを疑ったけれど、結果は自己免疫性の膵炎だった。元々、糖尿病で内服治療を受けていたMちゃんは思うように血糖のコントロールができず、退院が遅れたけれど、インスリンを導入して退院となった。今はステロイドの内服とインスリンの自己注射で通常の日常生活を送っている。ただ90歳を越えたお母さんは止む終えずショートステイとロングステイを組み合わせ、施設に入所することになった。

 

そんなことがあり、特別なことは何もなくても、昨日のように「すてきだなあ」と思いながらイチョウ並木を歩いたり、夕日が当たる冬木立を見て美しいと思ったり、ただそんな日常が送れることがすばらしく幸せなことだと思うようになった。もちろん、夫が倒れて以来、何気ない日常が送れることがどんなに幸せなことかはわかっていたし、そんな気持ちを持ち続けてはいたけれど。

 

Mちゃんが退院し、またメール交換が再開した。

何気ない日常を報告し合うだけなのだけれど、ただそれだけでうれしいのだ。

運動公園のイチョウ並木

毎年、イチョウが色づき始めると歩きたくなる岩田運動公園のイチョウ並木。

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この間から大通りを車で移動中に何度もチラ見していたけれど、なかなか駐車場には入れないでいた。駐車場が込み合っているわけではなく、自分自身にゆとりがなかったから。

 

今日は夫はデイケア日。

夫が出かけるとタイマーを1時間でセットし、庭仕事。

そのあと、出かけた帰りに寄ってみた。

もうかなり散っていたけれど、落ち葉のじゅうたんもなかなかのものだ。

 

駐車場は大通りの側ではなく、イチョウ並木の先の先の先の方にある裏側に止めた。

いつもだったら左手奥にある水神池の周りを2、3周歩くのだけれど、今日は駐車場からイチョウ並木まで歩き、また戻るだけの散歩で終了。この時期、水神池にはカモが増えているだろうと思うとちょっと後ろ髪を引かれたけれど。

 

ただそれだけの散歩だったにもかかわらず、久しぶりに歩いたらとても心地よかった。