今朝、ゴミ捨てに行くと、ご近所のMさんに出会った。
Mさんは散歩からの帰り道のようで、私に話しかけてきた。多分、誰かと話したかったのだと思う。
Mさんは私より7歳ぐらいは年上。息子さんが2人いるけれど、それぞれが独立して遠方で暮らしているから、我家と同じで年寄り夫婦の二人暮らし。
そして、我家の夫が倒れた頃、Mさんのご主人は癌の宣告を受け、それから何度も大きな手術を受け、抗がん剤の治療も受けていた。
そのご主人が徐々に悪化しているみたいで、その状態について話し始めた。
モルヒネを使っていること。骨折したこと。車いすの生活になってしまったこと。食べれないこと。抗がん剤の量が増えてから、ご主人は性格が変わってしまったように怒ってばかりいたこと。抗がん剤治療をやめたこと。やめてから、少し食べれるようになったこと。怒ることが減ったこと、等など・・・
そして、ご主人は転倒しそうになってもMさんの手助けを嫌い、病院に出かける時にも後ろから見守るしかないという。
どんなに怒られても「病気が言わせる言葉だから・・・」と思いながら、介護をしているという。そして、家にいる時にはご主人のマッサージもしているようで、ギリギリの精神状態で頑張っている様子が伝わってきた。
お嫁さんも心配して「心療内科のような専門家に話しを聞いてもらった方がいいのでは・・・」と電話をくれたそうだ。だけど、Mさんは「友達に話しを聞いてもらっているから大丈夫。もう少し頑張ってみるから・・・」と返事をしたと言う。その時、息子さんが近くにいて「これ以上、頑張らなくてもいい」と言ってくれたそうだ。
そんな話を聞いても、私にはどうしてあげることもできない。ただ話を聞いているだけで・・・
最近、Mさんは眠れない時には詩集を読んでいるという。短い言葉のふし節に心が洗われ、元気も出るのだとか。
夫が倒れてしばらくしてから、元同僚のS子ちゃんが柴田トヨさんの「くじけないで」と「百歳」を私にプレゼントしてくれた。だけど、私はその時点で2冊とも持っていた。だから、2年ぐらい前に自分で買った方の本をMさんに差し上げたことがある。
我家の本箱にはまだまだ癒されそうな本がたくさんある。そのうちから何冊かを選んで、差し上げようと思ってしまった。だけど、今は何を読んでも癒されることはないだろう。
人間はどんな人もいずれは別れがやってくる。だけど、その辛さや悲しみを考えると、朝からとってもやるせない気持ちになってしまった。