私は同窓会とかクラス会には一度も出席したことがない。どうしてかと聞かれると返事に困るけれど、多分、そういう席が好きではないし、懐かしくて会いたいと思う友人もいないからだと思う。もちろん、貧乏生活で高い会費も痛いし、着るものだって普段着ている綿パンにTシャツやトレーナーという訳にはいかないということもあるけれど。
そういうところでは年相応の話題が多いと聞く。30代、40代は子どもの話。50代からは孫の話。60代からは足腰の衰えと介護の話だとか。もちろん、懐かしい学生時代の話しも多いのだろうけれど。私はそういうことも面倒臭い。
そういえば、看護学校のクラス会では案内状とともに近況を書き添えるように用紙が同封されてくる。そして、出欠の返事を出した人には欠席者にもクラス会が終わった後でその時の写真とみんなの近況をコピーしたものが送られてくる。
その近況を読んでもそんな傾向があった。それを読むたびに、私は「卒業後一度も会っていない同級生の子どもや孫の話を聞いてもなあ」と思っていた。看護学校の同級生なら看護の現場の情報とかを書いてくれればいいのにと。例えば「今、〇〇病院の外科病棟でこんなことに取り組んでいます」とか。「病院ではこんな看護方式を検討し、中心で頑張っています」とか。介護の話なら、まだ看護に通じることがあり、情報交換をすることができるけれど。そんなことを思うのは私ぐらいなのだろうか。
この間、高校時代からの友人Yちゃんと会った。
今、Yちゃんはお義母さんの介護をしているのでストレスがいっぱい溜まっている。だから、御多分に洩れず、半分は介護の話だったような気がする。だけど、Yちゃんは私に話すことでストレスを発散させることができるのだと思う。そして、情報の交換も。だから、年相応の話だけれど、Yちゃんと私の関係ならそれでも構わないと思っている。Yちゃんとは高校時代からずっと一緒で、家族もみんなよく知っているし、何より、別れる時にはフッと一息も二息も吐いて気持ちも落着いているのだから。
今日はJ子さんの美容院に行って来た。
美容院は完全予約制なので、午前中の約3時間は全て私のためだけにある。以前、何度か書いたけれど、美容師のJ子さんは私の心の中ではお姉さんのような存在。だから、その間のおしゃべりはとても楽しい時間だ。
J子さんとは子どもの話も孫の話も病気の話も滅多にしてないと思う。介護の話はするけれど、それはストレスを話すのではなく、夫と出かけた話しやこれから行きたいところの話し等など。
今日も旅行の話、郵便局の話、匠の技の話、本の話と、楽しい話しがいっぱいだった。
柴田トヨさんの「くじけないで」という詩集にこんな詩が載っている。
先生に
私を
おばあちゃん と
呼ばないで
「今日は何曜日?」
「9+9は幾つ?」
そんな バカな質問も
しないでほしい
「柴田さん
西条八十の詩は
好きですか?
小泉内閣を
どう思います?」
こんな質問なら
うれしいわ
この気持ち、すごくよく分かる。
たまに会う友人や知人からは「子どもさんは?」とか「お孫さんは?」とか「ご主人は?」とか聞かれることが多い。
そんな話ではなく「私とあなた」の話ができると、私は嬉しいと思うのだけど。