えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

久しぶりに高校野球を見た

小学校高学年の頃から「学校の授業で何が一番好きか」と聞かれれば、間違いなく「体育です」と答えていた。

 

4年生だったか、5年生だったか忘れたけれど、冬休みに隣のおじさんに挑発され、おじさんと我家の兄弟3人で早朝ランニングをすることになった。

おじさんはもうとっくに亡くなってしまったけれど、競輪の選手だった人。4人で決めたルールは走らなければ多分5円の罰金だった。当時の5円はアイスキャンディーが買えるぐらいの金額だったと思う。

ある日、私は寝過ごしてしまい、みんなに置いて行かれた。だけど、罰金は払えないのでやむなく一人で走った。

その頃、ちょうど成長期だったのか、体力が一気に向上したような気がした。

そして、冬休み中走り通したという自信みたいなものが生まれ、3学期に行われたマラソン大会ではかなりの成績を収めることができた。

たぶん、それで一気に体育が好きになったのだと思っている。

 

それ以降、スポーツは自分でするのも、見るのも大好きだった。

中学、高校の頃にはテレビで相撲も見ていたし、プロ野球も見ていた。春、夏には高校野球にも夢中になった。東京オリンピックの時にはテレビの前から離れられないほどだった。

社会人になってからは職場のスポーツチームにも入った。

結婚してからしばらくは、自分でする方は遠ざかっていたけれど、子どもたちが小学生になった頃から、町内の運動会や球技大会に頼まれて参加するようになった。

 

それが40代半ばごろからだろうか、正規職員として働き始めたこともあり、スポーツをすることがなくなった。

そして、徐々に興味も薄れ、最近では全く興味がなくなってしまった。

興味がなくなってしまっただけではなく、見ていられなくなったのだ。

それまでは勝ち負けに興奮し、感動していたものが、勝ち負けがイヤになり、失敗する選手が辛くて気の毒で、何より失敗するところを恐くて見ていられないのだ。

だから、オリンピックも最近ではソチもスケートの世界選手権も見ていない。新聞の大見出しで結果を知るだけで、スポーツ欄さえ見ないようになった。

 

それが今日、昼食後に何気なくテレビをつけたところ、地元の豊川高校が準決勝で戦っていたのだ。

テレビをつけた時は8回の裏で6対2。大阪代表の履正社に4点差で負けていた。

「もう切ろう」と思ったところ、3番打者が打ち、切れなくなったまま4番、5番、6番と打ちまくり、何と逆転してしまったのだ。こうなるともう切れない。

だけど、9回表でホームランを打たれ同点に。そして、延長戦に入った。

結果は延長10回表で5点という大量点を取られ、12対7で負けてしまった。

まあ、初出場で準決勝まで進出したのだから立派なものだ。

それに8回裏からしか見ていないけれど、すばらしい打撃戦だった。

そして、負けたとはいえ、選手たちはみんなよく頑張ったと思う。

夫も一緒に声を出して応援していた。

ヒヤヒヤドキドキしたけれど、二人ともやっぱり最後はものすごく感動した。

 

久しぶりに高校野球を見て、選手たちには「お疲れさま。感動をありがとう」と声をかけたい気分だった。