子どもの頃、歩いて5分もかからないところに神社があった。
その神社の前の坂道は、片方に10本づつぐらいのさくらの木があり、この時期はさくらトンネルのようだった。
さくらの花が散り始めると、近所の女の子たちは木綿の白い糸を通した針を持って、その桜の木の下に集まった。
私も母に針と糸を準備してもらい飛んで行った。
そして、木の下にしゃがみ込み、夢中で地面に散った花びらを一枚一枚針で刺し、花冠を作ったものだ。
この間、そんな話を床屋さんですると、私より少し年下の奥さんは「クローバーで花冠は作ったけれど、さくらの花びらでは作ったことがないわ」と言った。
もちろん、クローバーでも作った。だけど、さくらの花びらでも作ったのだ。
年令が少し違っただけでも、育った場所が違っても、遊びは違うものだけれど、あの頃の私たちにはそんな自然が遊び相手だった。
今日、夫と近くの公園にさくらを見に行った。
はらはらと舞い散る桜の花びらを眺めていたら、遠い昔のそんな光景が甦ってきた。
神社の前のさくらの木はもうとっくに伐り倒され、今は住宅が立ち並んでいる。
私の実家ももうそこにはない。
春のお彼岸には彼岸に入ってすぐに婚家の墓参りに行った。何も言われるわけではないけれど、夫の兄弟がお参りに出かける前に済ませておきたかったから。
だけど、実家の墓参りには行けないでいた。
はらはらと舞い落ちるさくらの花びらを眺めていたら、昔のことを思い出しただけでなく、無性に実家のお墓参りに行きたくなってきた。
明日は雨の予報だけれど、お墓参りだけは行ってこようと思っている。