えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

苦い思い出

今日は1日雨が降っていました。

こんな日はどこにも行けないので、片付けでもすればいいのにと思うけれど、やっぱり何もせず、ぐうたらした1日を過ごしてしまいました。

机の上には数日分の新聞が積み重ねたまま置いてあったので、せめてそのぐらいは片づけようと思いました。その前に、この間夫が「切抜きしたい」と指差したところを切っておこうと探していたら、こんな記事があったことを思い出しました。

心の病で労災・・・

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過労やストレスからうつ病などの「心の病」になって労災を認められた人が過去最多だったと。

えむこは「ストレスからうつ病」と聞くと、勤めていた頃の苦い経験を思い出すのです。

 

えむこが内科病棟の師長だった時、2人の新人が入ってきました。1人はK君という男性。もう1人はAさんという女性でした。

えむこの勤めていた病院は新人研修も現場での体制もしっかりしている所だと思っています。もちろん、実習しか経験のない新人ですから、いろんなことはありました。でも、Aさんは仕事も順調にこなし着実に成長が見られました。K君はというと、いつも自信がなさそうでちょっと心配をしていたのです。それでも、1年目はかなり先輩にフォローされながら、それなりに成長したとは思っていました。

それが2年目に入り、しばらくした頃に様子がおかしくなったのです。

 

えむこが勤めていた病院はプライマリーナーシング(受け持ち看護師制)という看護方式を使っていました。プライマリーナーシングというのは、1人の患者さんの入院から退院までを1人のプライマリーナースが継続して受け持つというものです。

プライマリーナースといえど、3交代勤務なので勤務してない時にはアソシエートナースといわれる別の看護師がプライマリーナースが立案した看護計画に基づいて看護援助をするのです。

プライマリーナースになるのは3年目以上の看護師ですが、2年目にはそのための研修が組まれ、計画の立案も指導者とともするようになります。

その他にも、2年目に入ると後輩である新人が入ってくるので自立しなければならないことが増えてきます。

K君はそんな頃、えむこに話があると言って来ました。内容は「仕事の重圧に耐えれない」ということでした。それで、話し合った末、2年目の研修を遅らせることにしたのです。「研修まで遅らせる必要はないのでは・・・」と思われるかもしれないけれど、研修を受けるということは、それなりにやらなければならないことが増えるということです。遅らせることはたまにはあることですし、K君の場合は本人の希望でもあったので無理に進めないことにしたのです。

でも、良かったのはしばらくの間だけ。結局、医師の診察を受け、うつ病と診断されました。そして、病欠・休職となり、なかなか勤務できる状態にはなりませんでした。

少し回復した時、医師や部長室が本人と話し、えむこのいた急性期病棟より多分落着いているだろうと思われる他の部署に移動しました。

そこで、医師の診察を受けながら、短時間勤務をしたり、夜勤を始める時には人数を増やしたりして対応していました。でも、やっぱり続けることはできず、休職することになったのです。

K君が勤務移動になった頃、えむこは「さだまさしコンサート」に行き、そこでさださんが歌った曲に釘づけになりました。それが「桜桜咲くラプソディー」

えむこは歌を聴きながらK君のことばかりを考えていました。

全部を載せることができないから一番の一部だけ。

駄目でもいいじゃん 雨でもいいじゃん

・・・・・・

・・・・・・駄目 諦めたら駄目

元気ならばもうそれだけでいいじゃん

辛い時は多分 沈み込む気分

今日は今日の明日は明日の風が吹く時分

焦ったら負け・・・・・・

生きていればいつかきっとチャンスは来る

季節(とき)の花は咲く季節を忘れない

君も僕もやがてきっと季節が来る そう

冬が過ぎて 梅が咲いて 辛夷が咲いて 春がきたら

桜桜・・・・・・

えむこは直ぐにCDを買い、勤務移動になって挨拶に来てくれたK君にそれをプレゼントしました。歌の内容なんかは言わなかったけど、復職のお祝いだから・・・

でも、その後も休職になったまま、えむこが退職する時にまだ勤務ができる状況にはならなかったのです。

だから、今でもえむこにとっては苦い思い出のままなのです。

「何とかできなかったのだろうか」と・・・