私自身が思う自分像と他の人が思う私像は多分大きな隔たりがあると思う。
小・中学生の頃、男兄弟のまん中で育った私は男子と話すことには何の抵抗もなく平気だった。
その男子たちからよく言われた言葉は「お前は放っておいても大丈夫だけど、あいつは・・・」というもの。要するに「男子として守ってあげたくなるような弱々しい女子ではない」ということ。仲好しのミーコちゃんのことは心配してあげるのに。
高校生になると、希望の高校に入学したものの、勉強しない生活がたたり、成績はがた落ち。そのため、全く友人がいなかったわけではないけれど、毎日下を向いて生活しているような高校生だった。
すると、今度は「おとなしい人」とか「おとなしすぎる」と言われるようになった。だけど、いくら下を向いて生活していてもやっぱりミーコちゃんのような扱いはされた記憶はない。
その後、大人になってからは何度も「強いのね」と言われた。
母が癌に侵され亡くなった後、看護学校時代の友人に「えむちゃんは強いのね」と。
職場ではパワハラの上司から「おとなしい顔をしているけれど、芯はキツイ人だ」と。
そして、夫が脳出血で倒れてからも「えむちゃんはすごく強い人なんだね」と。
私は、どの時だって自分のことを強い人だなんて思ったことはない。情けないぐらい弱くて、辛くて、誰かに頼りたくて仕方がなくて、悲しくて、悲しくて、毎日人知れず枕を濡らしていたのだから。
ただ、母の時には嘘を吐き通さなければならなかったから誰にも話せなかっただけ。
上司の時にも言えなかっただけ。
夫の時にも・・・
昨日、長男から久しぶりに電話があった。孫のことを話した後、30日の日に帰省すると言った。
28・29日は彼女の実家に泊まり、30日に我家。31・1日に彼女の実家に泊まり、2日には帰ると言う。30日は彼女の実家でお餅つきを済ませた後に来ると思うので、多分夕方の帰省。そして、31日の午後にはもう帰ると思う。
長男には「そう、分かった。待ってるから・・・」としか言わなかった。だけど、本心は我家にももっとゆっくりしていって欲しいと思っていた。だけど、言えなかった。
長男も、子どもの頃の男子のように「母さんは放っておいても大丈夫」とでも思っているのだろうか。きっとそうに違いない。ホントはちっとも大丈夫なんかじゃないのに・・・
夫のことも、日々の生活のことも、家計のことも、頼るようなことは一切言わないから。言ったとしても「母さんは強い人だから何とかする」と思うだけかもしれないし・・・
今日「税務調査官・窓際太郎の事件簿」というテレビの録画番組を観ていたら、小林稔侍演じる税務調査官の窓際太郎が「母ちゃん、会いたいよ~」と大声で叫んでいた。それを見て、私は「母ちゃんも会いたいよ~」って叫びたい衝動に駆られてしまった。
夫はいつも「息子が彼女の家で歓待されるということは嬉しいことじゃないか。大事にしてもらっているということなんだから・・・」と言っていた。それはそうに決まっている。だけど、私だっていつも彼女を歓待しているのに。
そして、最後はいつだって「息子が幸せならそれでいい」と思うようにしている。やきもちを焼いたらろくなことはないに決まっているから。
だけど「我家には魅力がないのだろうか」と考えてしまう。
人の気持ちは言葉に出さないと伝わらないと言う。だから、きちんと言葉に出して言わない自分に問題があるのかもしれないと思う。でも、息子の親としてはやっぱり一歩も二歩も引いてしまうのだ。
まあ、息子の声は明るく、我家に帰省することも楽しみにしていることは伝わった。だから、それで十分だと思わなければ。
だけど、私は決して強くなんかないんだから・・・