脳出血の後遺症に感情障害というものがある。
これは高次脳機能障害の一つでもあり、喜怒哀楽のコントロールができなくなる、つまり抑制がきかなくなってしまうのだ。
可笑しいこともないのに突然笑い出したり、些細なことで泣けてしまったり、イライラしやすくなったり、怒りっぽくなったりと。
また、鬱状態になったり、場合によっては幻覚や妄想が現れることもあるという。時として、人格が変わってしまったと思うようになる人もいる。
感情障害の中で、笑ったり泣いたりする症状はそんなに困ることはない。だけど「怒る」という症状は周りの人をかなり困らせる。
まだ看護師になったばかりの頃、交通事故で救急搬送された20代半ばの男性患者さんを受け持ったことがある。
彼は外傷性脳出血と診断され、緊急手術を受けた。術後、意識が戻った彼は手が付けられないほど怒り、母親に酷い暴言を吐いていた。医師にだけは暴言を吐くようなことはなかったけれど、看護師にはバカにしたような言動を繰り返した。医師からは脳出血の後遺症だと聞いていたけれど、母親は人格が変わってしまったみたいだと悲しみ、私たち看護師はほとほと対応に苦慮した。
その後も、脳出血や脳梗塞の後遺症を抱えた患者さんを受け持つことがあった。その多くの患者さんは症状の程度こそ違うけれど、家族に対して急に怒り出したり、怒りをぶつけているかのようだった。
夫の場合も感情障害がある。突然笑い出したり、テレビを観ていて感動する場面や悲しい場面で涙を流したり、嬉しくて泣けてしまったりと。時には鬱状態かと思うことも。
怒りの感情障害は回復期リハビリ病院入院中に一度だけあった。
面会に行くと、私にだけ手が付けられないように怒り出すのだ。倒れる前には滅多に怒らない人だった。暴力も振るわれたことはない。それが、初めての痙攣発作を起こす少し前、突如目つきが変わり怒り出した。左の拳を振り上げて今にも殴りかかろうとするぐらいの勢いで。殴られることはなかったけれど。
それまで、私は面会に行くと就寝前の洗面と着替えを介助し、しばらく一緒に過ごしてから家に戻っていた。だけど、私の顔を見ただけで怒り出すようになってからは、面会に行っても洗濯物だけを置き、看護師さんや介護士さんに状態を確認して帰るだけ。退院後に在宅で介護ができるかという不安を抱えながら、悲しかったけれど距離を置いていた。
それが、初めて痙攣発作を起こしてからは怒るということがなくなったのだ。
そして、あれから3年以上が経つけれど、怒るという感情障害で困ったことは一度もなかった。
それが・・・
昨夕、久しぶりに夫の弟が来た。
夫のお通じを気にかけてくれ、いも切干を持ってきてくれたのだ。夫に「はい。これを食べるとお通じにいいよ」と。
夫はそれを手にした途端、顔つきが変わった。お茶を入れ、それを開封しようとすると、血相を変えて怒り出した。
「今食べなくても、明日にでも食べればいいから・・・」という義弟の顔も見ず、そっぽを向いてしまった。
義弟は「機嫌が悪いの? 元気がないのか?」と声を掛けても、怒った顔つきで横を向いたまま。それでも、義弟は1時間ぐらい話していた。絵の話になってからは少しだけ感情が落着いてきたようにみえたけれど、私は義弟のことが気になりヒヤヒヤしていた。
義弟が帰ってから、夫は頂いたいも切干を手にとり、臭いを嗅ぎ始めた。そして、何か悪いものを見るような顔をして手から放した。
私がそれを手に持つと、また激しく怒り出した。「食べたい」と言ってみると、ますます顔色を変えて怒り出した。
いも切干は食べるものだと説明してもダメ。義弟が夫のお通じがスムーズに出るように持ってきてくれたことを説明してもダメ。義弟が変なものをくれるわけがないと言ってもダメと、何を言ってもいも切干に触ることさえ許さないという雰囲気だった。
久しぶりに見た怒りの感情障害だった。
だけど、怒っている理由を言葉で表現できないからホントのところは分からない。もしかしたら幻覚とか妄想が現れたのだろうか? それともまた痙攣の前兆だろうかと少し心配になった。
まあ、いも切干だけに反応したわけだから、それが目に入らなかったり、その話をしなければいいだけのことだとは思うけれど。
こういう時は認知症の対応と同じかもしれない。否定せず受け入れる。そして、難しいけれど怒らない。納得のできるように話してもダメだったから、思い出さないようにいも切干を遠ざけておこう。
そして、せっかく夫のために持ってきてくれた義弟には悪いけれど、明日夫がデイケアに出かけたら、私のお腹の中に納めてしまおう。わたし、いも切干が大好きだから。
それにしても「怒る」という感情障害は辛いものだ。だからもう出ないでほしい。二人で穏やかに暮らしていきたいから・・・