えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

車いすもベビーカーもスムーズに乗れるといいけれど

この間の新聞に「ベビーカーたたまず乗車OK」という記事が載っていた。

国土交通省が電車やバスの車内ではベビーカーをたたまなくてもよいとする共通ルールを決めたというものだ。そして、優先スペースに掲示するマークも公表したという。

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この間横浜に出かけた時、新幹線とJRの在来線、私鉄電車に私バス という公共交通機関を利用したことを書いた。

バスの中ではベビーカーを使用している人には出会わなかったけれど、電車ではベビーカーを使用している多くの人に出会った。

私たちはラッシュ時を避けた時間帯だったせいか、ベビーカーをたたんでいる人はいなかった。たたんではいなくても、私にはベビーカーを使用している人たちは人の少ない所を選び、他の乗客に迷惑がかからないように気をつけているように見えた。

そんな姿を見ていたら、車いすの私たちと重なる気がして胸が痛くなってきた。

車いすの私たちが乗り降りする時には駅員さんがスロープを準備し手助けをしてくれるけれど、ベビーカーの人たちは自分たちで乗り降りしている。何だかもっと大変ではないかという気さえしてしまう。

新聞によると、優先スペースにマークを掲示し、車内ではストッパーをかけ、バスではベルトで座席などに固定してもらう。そして、ほかの乗客との摩擦を防ぐため、保護者には「接触や通行の妨げなど操作に気をつけましょう」と呼びかけ、周囲には「温かい気持ちで見守って」「手助けを申し出てみましょう」と理解を求めたとある。

 

実は、この間バスに乗った時、私は嬉しくもあったけれど、ほんとはものすごく申し訳ないような気持ちでいっぱいだったのだ。

電車と違ってバスは運転手さんが一人乗務。

車いすで乗り降りするためには運転手さんが席を離れ、降車口にある収納庫のような所からスロープを出し、それをセット。そして、ずれないようにピンのようなものを刺し、乗降の介助。そして、スロープを片付ける。私たちはしなかったけれど、必要な人には乗車時に車いすを座席に固定したり、シートベルトのようなものを取付けたりと、すべて一人で行うのだ。

当然、時間がかかる。専用スペースには折りたためる椅子が2席あり、そこに座っている人には移動してもらわなければならないのだ。

たぶん、ベビーカーも同じではないかと想像してしまう。

私たちが乗った時、それを見ていた他の乗客から「運転手さんが大変だね」という声が聞こえてきた。

途中で乗った年配の男性からは「この時間にバスが来なかったけれどどうなっているのか」と運転手さんが怒鳴られているのが聞こえてきた。運転手さんは「申し訳ありません」と謝っていたけれど、その男性は「申し訳ないですむことじゃない」と怒りながら乗車してきた。

私たちは始発駅から乗ったので、私たちのために時間が遅れることはなかったと思いたい。だけど、ひょっとしたら私たちのために遅れたのかもしれないと思うと身が縮む思いがした。

横浜は坂の多い町で、駅から息子の家に行くにはかなりの上り坂だ。それで、バスを使うことにしたのだけれど、帰りは30分ぐらい歩いて駅まで戻った。

 

車いすでもベビーカーでもルールがあるのは嬉しい。

だけど、バリアは人間の心の中にあるのだと思う。

バスで「運転手さんが大変だね」と言った人と同じように、私も大変なことだと思った。

運転席に近いドア側からボタン一つでスロープが降り、車いすの人もベビーカーの人も自分たちで乗車できるようになったり、専用スペースの座席は常には閉じておいて、立ち席にしておくとかしなければ、他の乗客からは迷惑な乗客としか思われないような気がしてしまう。

ルールがルールで終わらないように、ルールがなくてもスムーズに乗車できるようになるといいのだけれど・・・

そんなことを思いながら新聞記事を読んでいた。