昨日、佐藤愛子さんの「我が老後」というエッセイ集を読み終えた。
佐藤愛子さんの本は若い頃に何冊も読んだのだけれど、この本は読んでなかった。
この間ブックマーケットを覗いた時、100円コーナーでこの本を見つけ、嬉しくて迷うことなく買ってきた。108円では作家に申し訳ないと思いながら。
66歳から68歳ぐらいの時に書いたものだが、これがまたものすごく面白いのだ。
飼い犬と戦い、娘さんから預かった犬やインコと戦い、娘と戦い、孫と戦い、夏の間過ごす家がある集落の子どもたちと戦い・・・
そういった日常生活がユーモラスに描かれている。実際に怒ったり、怒鳴ったり、心の中でだけだったりで。読んでいると痛快で「そうだ、そうだ」と相槌を打ちたくなるようなことばかりだ。そして、怒ってばかりいるようだけれど、人間的な温かさを感じるのだ。
私は今、まさに老後の人生を送っている。
私の場合、台所仕事と掃除や洗濯に明け暮れ、それに少しばかり夫の介護が加わった生活だ。ま、時々は庭仕事をしたり、散歩に出かけたり、読書をしたり、月・木には買物にでたり、友人とおしゃべりに興じたり、近場へ遊びに行ったりしているけれど、毎日ブログに書いているようなことぐらいで何の変哲もない毎日だ。
それでも、些細なことに喜んだり怒ったり悲しんだり楽しんだりしながら暮らしているけれど、こんなに面白い生活ではない。
だけど、最後のエッセイ「いつもと同じ朝」を読んだ時、同じようなことを考えるものだと思ったのだ。
締め付けられるような背中の痛みで目覚めた時、心臓だと思いながら「娘に連絡すれば救急車を呼ぶだろうからそれはイヤ」
ここで自分が死んだら・・・と、その場面を想像し妄想に走る。誰が見つけどんな反応や言葉を発するだろうか・・・と。
そうしているうちに痛みが和らぎいつしか眠りに落ち、何事もない朝が来るというもの。
体調が悪い時、私も「自分が死んだら・・・」と、いつも妄想に走る。どの時点で誰が発見し、どんな反応をするだろうか。そして、泣くだろうかと。
老後の人生というのは大したこともない日常と、たまに死の場面を妄想するというような、そんなことの繰り返しなのかも知れないと思ったのだ。
ま、私の老後だけかもしれないけれど・・・