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えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

10円玉

小学生の頃、道路はまだ舗装されていなかった。

当時、私は学校から帰るとランドセルを置いてすぐに遊びに出た。遊び場は近くの広場であったり、お宮さんであったり。また学校に戻り校庭で遊ぶこともあった。

通学はもちろん歩きだったけれど、遊びに行く時も校区内しか行くことがなっかたので、どんなに遠くても歩いて行った。

で、その頃、道路や遊んでいる時に5円玉や10円玉をよく拾った。

道路では、下を向いて歩いていると、ほんとによくお金が落ちていたのだ。だけど、一番拾ったのは校庭だった。鉄棒の下や砂場には必ずといっていいほど落ちていた。一回に20円とか30円とか拾ったこともある。

道路は舗装されていなかったから硬貨を落としても音はしなかったのだろう。それに、子どもたちは多分お財布など持たず、硬貨をズボンやスカートのポケットに入れていたのだと思う。ま、道路に落ちていたお金は子どもが落としたとは限らないけれど。

鉄棒の下は逆上がりや前転、後転した時に落としたのだろう。砂場は高い鉄棒の下だったからやっぱりそんな時に落としたのだと思う。

お金を拾った時、例え5円玉や10円玉でもどうしようかと思う。低学年の頃には5円でアイスキャンデーが1本買えたのだから。

で、拾ったお金を道路で拾った時に友人たちと交番に届けたことがある。校庭で拾った時には先生に。

だけど、届けた記憶は数回しかないのだ。後は多分インマイポケットしていたのだろう。当時は罪悪感などという気持ちはなく、きっと嬉しくて買い食いして使ってしまったのだと思う。

 

道路が舗装されてからは道路でお金を拾うことはほとんどない。

だけど、我家の子どもたちが低学年の頃、同じように近くの友だち4、5人で100円硬貨だったと思うけれど、拾ったことがある。

その時、子どもたちが交番に届けると言ったので、どうしたものかと思ったけれど、私は近くの交番まで付いて行った。

お巡りさんは何と言ったかはっきりとした記憶はないけれど、正規の手続きをしたうえで、子どもたちを褒めてくれたと思う。

自分が子どもの時には、子どもたちだけで行ったのだけれど、どういう対応だったのか全く記憶がない。

 

今日は燃やすゴミの日だった。

ゴミ出しに行くと、集積場のゴミ袋の近くに10円玉が一つ落ちていた。たぶんゴミを捨てに来て落としたのだろうが、落とし主はもちろん分からない。

で、拾ったのだけど・・・

だけど、何だか気分がすぐれない。

家に戻り、水道水で洗い、目に付くところに置いておいた。

拾ってきたものの「さて、どうしましょうか・・・」と思い悩んでしまったのだ。

スーパーに行った時に義援金のボックスに入れてこようか。

たかが10円。されど10円。以前、どこかの市バスの運転手が料金箱から10円だったか100円だったかを出して使ったことから免職になったというニュースを思い出した。

だからというわけではないけれど、やっぱり10円といえども自分のお金ではないので使いたくはないのだ。かといって交番に届けるのも憚られるし。

で、こんなことなら「拾ってこなければよかった・・・」と思っているところなのだ。

もしも拾ってこなかったとしたら「あのお金はどうなったのだろうか・・・」と、あとから気になって仕方がないと思うのだけれど。