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えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

手助けのし過ぎは悪

訪問リハビリの時、夫はベッドで臥床している状態から、時間はかかるけれど、自分で座位になることができる。

できるけれど、右半身マヒの夫にはかなりの重労働だ。

左手で右手首を持ち、胸の上に乗せる。左足で右足を掬い、側臥位になる。そして、左ひじを曲げ、手首と腕を使って上半身を起こすのだ。

夫は普通の人より5㌢ぐらい手が短い。だから、胸に乗せた右腕はストンと横に滑り落ちてしまう。上手いこと乗せても側臥位になる時に右肩が残ってしまい、前方に付いてこない。そして、左肘と手首を使い上半身を起こす動作にはかなりの力がいる。

リハビリは訓練だから、夫は時間がかかっても頑張ってやる。PT(理学療法士)も声をかけながらできるまで待っている。

だけど、日常生活において、夫がベッドから起き上がるのは、朝の起床時、お昼寝から目覚めた時、夜中の排泄時で、どの時もトイレに行きたくなって目覚めた後なのだ。

最近はないけれど、かなり以前に、尿意で目覚めたにもかかわらず、座位になるまでに時間がかかりすぎて間に合わなかったことがある。だから、待てばできると思っても、私はいつも手伝ってしまうのだ。

それがいけなかったのだと思う。夫は徐々にできなくなり、私の介助量も増えていった。体重70㎏ぐらいの夫を日に5回ぐらい側臥位から座位にするのはかなり重労働だ。

夫は電動で上半身が上がる介護ベッドを使っている。それで、側臥位から座位になる時、ベッドの上半身部分を上げるようにした。そうすると、私はかなり楽になった。

だけど、それはますます夫の能力を減退させることに繋がるのだ。

そんな話を訪問リハビリの時、PTのYさんにした。Yさんは「それは最終手段ですね。今の状態ではできる能力があるのですから・・・」と言われ、起き上がりの訓練を増やしてくれた。

看護師の仕事もそうなのだ。できることまで手助けをしてはいけない。残存機能は維持させ、少しでも能力を向上させるよう支援することが重要なのだ。そのためにはじっと我慢して待たなければならない。

分かっていることだけれど、待つのは辛い。イライラしてしまうのだ。だから、夫がトイレに間に合わないというより、私自身が待てなくて手出しをしてしまうのかも知れない。その結果、できなくなってしまうというのに。結局、私が悪の根源なのだ。

 

PTのYさんに話した後、私は極力待つようにしている。Yさんが夫に声掛けするように私も声をかけながら。

すると、このところ、夫の介助量が減ってきたような気がする。やっぱり「過ぎたるは猶及ばざるが如し」だ。何事も手助けし過ぎないようにしなくてはと思う。

夫ができるまで、心を落ち着けじっと我慢して待つ。結果、それが自分自身のためでもあるのだからと思い。