えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

夫の病院受診

夫は総合病院の脳神経外科と療養型病院の歯科、デイケアと隣接しているクリニックの整形外科に受診している。今はどれも症状が落ち着き、どこも3か月に1度の受診になった。それがすべて同じ月に集中し、今月がその月だった。

9日にデイケアを休んで脳外科受診、翌10日が午前中の訪問リハビリを終え、午後1番に歯科受診、昨日はデイケアにお迎えに行き、整形外科受診を終えた。

 

脳外科では受診前に採血があり、結果はすべて良好と言われ、次回は3か月後。歯科ではきれいにブラッシングができていると褒められ、次回は3か月後で良いと言われたけれど受診が重なるのはちょっと辛いので次回だけ2か月後にしてもらった。整形外科は脳外の血液検査の結果を伝え、内服続行で経過観察。整形外科だけは予約ではなく内服薬が終わる前の受診なのでデイケアの日にお迎えに行き受診をする。本当は、夫がデイケアにいる間に私が出向き、受診できるといいのだけれど、受診する場合は往復の送り迎えはダメだという。「なんで?」と思うけれど、法律的にダメだと言われれば仕方がない。今は車があるからいいけれど、車を手放したら片道はタクシーを使わなければならない。その場合、片道3500円ほどかかる。3か月に1度だからと言ってもこれでは車を手放すのも考えてしまう。

それでも、今の我家の最優先事項は夫の病院受診だ。極力、現状維持を続けられるように努力あるのみ。

とりあえず、疲れてしまったけれど、すべての受診を終えてホッとしている。

デジタル遺産

夫を自宅介護するようになって半年ぐらい経った頃、二人の生活は不自由であっても徐々に落ち着き、私は何かに飢えていた。それでか、長男が帰省した時に何かの話しのついでにフェイスブックに登録してくれた。当時はスマホではなかったのでPCの方で。電話は固定電話、メールも携帯のメールではなく、プロバイダーで登録しているものを使って。

 

フェイスブックには息子が時々投稿していたので遠く離れていても様子がよく分かった。私も元気に過ごしていることが伝わるようにと時々記事を書いた。だけど、親がしゃしゃり出るのはイヤで記事は読むだけで「いいね」をすることはなかった。私のフェイスブック上の友人は息子とそのパートナーだけだったので私の記事に「いいね」が付くこともなかった。

 

それから数年が経ち、ブログを始めた。それからはフェイスブックに記事を書くことはなくなったけれど、息子の記事を読んだり、地元の美術館や手作りサイトなど等、「いいね」を押した施設の投稿を読んだり今でも毎日チェックし楽しんでいる。

 

年末にガラケイからスマホに変えた。スマホにもフェイスブックのアプリが入っていたのでそちらでも見られるように登録することにした。PCの方では前述したように固定電話とプロバイダーのメールアドレスで登録していたので同じようにやろうとしたのだけれどうまくいかなかった。考えてみれば当然なのかもしれないけれど、電話はスマホの番号、メールはGメールでないとダメだった(アドレスは携帯会社のアドレスでもいいかもしれないけれど)。それでも、何とか登録を終えた。

すると、「知り合いかも」という表示が次々と出てきた。PCのほうでも出てはくるけれど、そちらではつながりになるものは友人として登録してある息子とそのパートナーだけ。だから、彼らの友人が共通の友人として「知り合いかも」と出てくるだけだった。ところがスマホで登録したら私の電話帳に登録してある人でフェイスブックをやっている人の名前が次々に出てきた。もう電話帳から削除した人までもが。その中には兄も弟もいた。弟はもう3年も前に亡くなったというのに。削除する人が誰もいないということはいつまでもそのままになるということなのだろう。金銭が絡むわけではないので良いのかもしれないけれど、これが世に言うデジタル遺産ということなのか。私は弟の名前を検索すれば顔を見ることができるのだから良いと言えば良いのだけれど、何だかとても複雑だ。本人が何年か開くこともなければ登録を抹消してくれるようなシステムになればいいのにと思いながら、ちょっと恐ろしくなった。

今年初めての喫茶店で

月曜日から夫のデイケアが始まり、火曜日には山盛りの燃やすごみ、生ごみを出し、水曜日には普段の何倍もあるプラスティックごみを出し、木曜日は瓶・缶を出してやっと日常に戻った気がする。

 

月曜日、夫をデイケアに送り出すと、夫には悪いけれどものすごく解放された気持ちになった。夫の方だって10日間ものあいだの籠の鳥状態から抜け出せ、やっと私からも解放されたと喜んでいるのかもしれないのに。

 

夫が出かけた後、極々簡単に家事を済ませ、それから出かけた。

郵便局に信金、銀行のATMをまわり、たまに行く喫茶店に寄った。テーブル席が4席と、あとはカウンター席が5席ぐらいの小さな喫茶店は殆どがお一人さまの常連さんばかりだ。その日も常連さんたちでいっぱいだったけれど、私が座る席が一つだけ空いていた。

席に着くとママさんが「これは私からのお年玉」と言い、おしゃれな折り紙で作った包みを下さった。中にはコーヒーチケットが2枚。

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ここのお店はサイフォンでおいしいコーヒーを淹れてくれる。写真はないけれどカップもステキ。モーニングサービスもホットサンドとヨーグルトと果物が少し付いて、とてもおいしい。それで450円だ。そのコーヒーチケットを2枚もいただいた。ママの太っ腹‼ と思いながら何だかうれしくなった。

正月早々、最先が悪い

年が明け、あっという間に3が日も過ぎ去った。

そして昨日、長男家族は渋滞を避けるため、朝早くに帰って行った。次男も、いつもだったら最終前の名古屋発こだまを選んで帰るのだけれど、午前中には帰ってしまった。そして、夫と二人だけの静かすぎる日常が戻ってきた。

 

昨日はしばらくの間なんだか大きな穴が開いたような気がして放心状態というか、ボーとしていた。とはいえ私は主婦だ。後始末はたくさんすぎるほどある。大げさに聞こえるけれど、力を振り絞って洗濯を始めた。一旦、何かを始めてしまえば回転し始める。夫を視野に入れながらなのですべてをできるわけではないけれど、片付けして掃除して、それから夫の洗髪に手と足の爪を切り・・・

そうこうしているうちに、3日の夜から写らなくなってしまったテレビを見に義弟が来てくれた。

 

母屋にはテレビが2台あり、そのどちらもが映らなくなってしまった。画面には「アンテナの接続を確認し、チャンネルを・・・」と表示されるのみ。

接続を確認しても異常なし。3日の夜に強風が吹いたということもないし、視覚的にアンテナが動いた形跡もない。そうなると、考えられるのはブースターの異常か? そう思ったけれど、録画してある番組は見ることができる。テレビはもちろんダメだし、録画もできない。なにより、3日の夜に録画したプレバドが一番いいところでプツンと切れてしまっていたのにはがっかりだった。

 

だけど、正月なのでどこにも頼めず、迷惑を顧みず義弟に相談してしまった。

義弟はその日のうちに見に来てくれ、どこかで断線していることが分かった。そして、ブースターの可能性が高いからとブースターを買いに行ってくれた。だけど、思いのほか値段が高く、専門外のことなので(ブースターの取り換えはできるけれど)直るとは言い切れないからと、週明けまで待つことになった。

なので、3日の夜からテレビのない生活が続いている。今日も録画予約してあった番組がいくつもあった。大人だから我慢はできるけれど、すべてダメだと思ったら残念でならない。

ということで、昨日は疲れていたこともあり8時台には寝てしまった。おかげで体の調子はすこぶる良い。今日も朝からフル回転で動いているし、テレビの誘惑がないからこうしてブログも書ける。そして、今からお風呂に入りすぐに寝てしまう予定だ。

 

明日はきっとテレビが見られるようになると思うけれど、修理にいくらぐらいかかるだろうか・・・

正月早々、最先が悪い。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

 

今年もゆっくりではありますがこのブログを続けていきたいと思っています。

そして、皆さまのところにも訪問させていただきたいと思っています。

       

本年もよろしくお願いいたします。 

 

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今年もあとわずか

28日の夕方、長男家族が帰省して賑やかな生活が始まった。

忙しくもあるけれど、楽しくもあり、うれしくもありの毎日だ。今日遅くには次男も帰省すると電話があった。みんな仲良く、元気で勢ぞろいできることは親としてはうれしい限りだ。こんな日が過ごせることを本当に幸せだと思う。

先のことは分からないから、今という時を大切に、楽しんで過ごしたいと思っている。

 

今年もあとわずか。目標は達成できなかったけれど、あくまでも目標は目標。仕事ではないし、来年も引き続きやればいいだけのこと、と、今年も締めくくることにした。

 

今年も訪問して下さった皆さま、ありがとうございました。

スマホデビューした

11月だったと思う。携帯の会社からゆうメールが届いた。

それは、私が使っているガラケイの修理受付が終了するいうもので、ガラケイ自体も2026年でサービスが終了すると書いてあった。そして、初めてのスマホ割とか、機種割引の案内もあった。

 

以前からスマホには興味はあった。だけど、夫が倒れてから外出の機会が減っただけではなく、短時間しか出かけられないし、しかも近くにしか出かけない。なので、外出先でインターネットを使うことはない。電話だってメールだってそんなにするわけではないけれど、緊急時のことを考えると携帯は必要だと思う。家にはネット環境があるから携帯は電話とメールができれば十分だ。スマホに興味があっても変えなかったのは料金が安いから。私の場合は1300円強だから。

だけど、変えなければ近い将来使えなくなるのは周知の事実。実際、私の友人や夫の友人も次々とスマホに変えている。

私のガラケイは壊れているわけではないけれど、バッテリーはもう2年ぐらい使っている。だから近いうちに交換が必要になる。修理の受付が終了ということはバッテリーもなくなるということ。だと思う。

で、11月から検討していた。それでやっと、昨日スマホに変えた。

しかし・・・ 

私は初めてのスマホのはずだった。そしてたくさんの割引を受けられると思っていた。それなのに、データー上は7年前にスマホを購入した履歴が残っていた。次男の仕業だと分かったので仕方がないのだけれど、実際には初めてのスマホなのに、何のサービスも受けられなかった。

そうはいっても履歴は変えられない。ガラケイが使えなくなるぎりぎりまで待とうと思ったけれど、息子のこと、まあ、仕方がないと諦めることにした。

 そして、本当に初めてスマホを手にした。

 

お店で電話帳だけは移行してくれたけれど、初めてのスマホは使用説明書はない。

以前、スマホを持っていないのにEテレで「初めてのスマホ」という番組を見た。だから少しは分かる。

先ずは電話をかけてみた。そして、メール。そこまでは何とか。

契約は1ギガ。Wi-Fiを設定しようと思い、この忙しくてたまらない時期なのに取説をダウンロードして奮闘。でも、パスワードが分からず悪戦苦闘。試して、試して、やっとできた。若い人なら何ともないことだろうけれど高齢者(私にとっては)にとってはパソコン以上にハードルが高い。電話とメールは分かったのだからあとは子どもたちの帰省を待てばいいと思いながらもこれが待てない。気が付いたら1日で320MBも使っていた。1ギガを越えたら料金が増えるだけなのだけれど、年金生活者なのだから超えないようにしなければ。

 

やっとスマホデビューなのか、仕方なくスマホデビューなのか分からないけれど、とにかくスマホデビューした。今は悪戦苦闘もまた楽し。というところだろうか。

 

夫のデイケアの日だけ、朝夕に庭しごと(庭めぐり)。少し前から大好きな水仙があちこちで咲き始めた。

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